曽祖父の話
一つ前のお話でうちには人のやることなすこと文句を言う嫌味をいう人がいるという話をした。
文句を聞いていると、自分も文句を言う人になるらしい。
それは昔の人間関係の崩壊でわかった。けど、気をつけないと今でもそうなる。
人間一回衝撃を受けんと気づかないらしい。でも、気づいた時には大半の事が手遅れなものだ。何もかも失った後にわかったりするものだ。
それでも、成長したんだよと言ってくれる人の存在は何より尊くてありがたいものだ。
昔の話だ。私の父が話してた。
石田三成と大谷吉継の話の如く、私の曽祖父が家族と食事中飛んでいた蛾がぽとりとおかずの中に落ちたと。家族が気まずい中、曽祖父はそれを箸でつまみ、うんまいうんまいと何事も無かったように食べたそうだ。嘘つきの父の話だから、本当の話じゃないかもしれない。でも私は、素敵な話だと思う。それこそ太宰治の『雪の夜の話』の主人公の様に、信じて曽祖父を見習いたいと思った。
私はごはん、特に夕飯が怖くて堪らない。
父が酒を飲み、祖母は文句を言い、喧嘩をし、
母を苛めるからだ。
私はこれから、逃げる為に上京したと言っても過言じゃない。
というかこれから逃げた。
でも、帰省中この恐怖の時間からは逃げられない。
いつからだろうか、ものを心から美味しくないと感じるようになった。
それは東京に行ってからもそうで、
なるべく一人でご飯を食べるのを嫌った。だから、あの子に依存してしまったというのもある。あの子とご飯を作って食べるのが何より幸福だったから(出来る事なら終わらせたくなかったんだ)。
今日もそんな夜が来る。
いつか、そんなことのない、安らぎの日々、
安らいで誰かとただただうんまいうんまいと飯を食べられる日が来るのだろうか。
あの幸せが壊れないで、ずっと続けばいい。
誰かと一緒になるってそういうことなんじゃないかなって思うんだよ。