ロバを売りに行く親子の話
『ロバを売りに行く親子』という童話を知っているだろうか。
近頃、これによく似た光景をTwitterのバズったツイートのリプ欄に見かける。めんどくせぇなもう
以下、Wikipedia『ロバを売りに行く親子』より引用
ろばを飼っていた父親と息子が、そのろばを売りに行くため、市場へ出かけた。2人でろばを引いて歩いていると、それを見た人が言う、「せっかくろばを連れているのに、乗りもせずに歩いているなんてもったいないことだ」。なるほどと思い、父親は息子をろばに乗せる。
しばらく行くと別の人がこれを見て、「元気な若者が楽をして親を歩かせるなんて、ひどいじゃないか」と言うので、なるほどと、今度は父親がろばにまたがり、息子が引いて歩いた。また別の者が見て、「自分だけ楽をして子供を歩かせるとは、悪い親だ。いっしょにろばに乗ればいいだろう」と言った。それはそうだと、2人でろばに乗って行く。
するとまた、「2人も乗るなんて、重くてろばがかわいそうだ。もっと楽にしてやればどうか」と言う者がいる。それではと、父親と息子は、こうすれば楽になるだろうと、ちょうど狩りの獲物を運ぶように、1本の棒にろばの両足をくくりつけて吊り上げ、2人で担いで歩く。
しかし、不自然な姿勢を嫌がったろばが暴れだした。不運にもそこは橋の上であった。暴れたろばは川に落ちて流されてしまい、結局親子は、苦労しただけで一文の利益も得られなかった。
私は子供の頃、イソップ童話の絵本の中でこれを読んだ。
最近生きてる中でこの物語がよく頭に浮かぶ。
この話の教訓は
人の意見ばかり聞いて、それに左右されて主体性(自らの識別や判断、自らが他者の考え方を実行に移す前の(懐疑を含む)思索)のない行動を取れば、時としてひどい目に遭う。
(以上Wikipedia『ロバを売りに行く親子』引用)
だという。
改めて読んでみると驚いた。
この話で悪いのはロバを売りに行った親子ではなく、彼らを見て無責任に言った4人の通行人の方ではないのかと思っていたからだ。
Wikipediaの言うぶんには、逆だった。
誰かの発言にころころ変えた親子が悪いと。
もしこの話に続きがあって、ロバが落ちたところを通行人が見れば、最終的に親子が考え出した方法で失敗したのを見れば、彼らは何馬鹿な事をしているのだと自己責任だ、と口々に言うのだろうと思う。そんな気がするんだ。
悲しいかな。
いじめっ子の先生に咎められた時の見て見ぬ振り・私じゃないふりにそれは似ている気がする。
親子はきっと相手の立場になって耳を傾けたのだろう。しかし通行人は親子の立場になって考えていたのだろうか。
もし相手の気持ちを考えた方が馬鹿を見たのならば、これでは親子があまりに可哀想だ。
童話なんて、本当はそんなものなんだけれど。それならば、完全に滅菌消毒したものをおくれよ。っていうのは、イソップやグリムが生きた時代の彼等が掻き集めた教訓めいた子供に聞かせられるような昔語りを中途半端に削除させたであろう当時の民衆に文句を言いつけるべきだろうか。