私は私を愛しているから
変われない。
台風15号が去った。前日にJRの計画運休の情報が出たおかげで学校が午前休講になった。
調子に乗って酒を飲むという愚行をしたせいで、只でさえ低気圧でしんどいというのに頭痛を伴った酔い方をした。
登校時間の一時間前に終日休校の情報が出るので起きていた。
八時になって目が覚めて二度寝しようとしたら、隣の基礎工事の重機でアパート揺れて寝れやしない。家を出ようかと思ったけど最寄りの駅が大渋滞だと知って動きたくない。重機持ち出すってどんな倒木。流石は国境。
そのうちに午後の授業が休講の情報が出たので今これを何時ぞやの様に便器に座って簡易キーボードで打っている。半年前のあの日のデジャヴだ。
あの日は確かに酔いに任せて打った、事実あの日の次の日は地獄を見たし人生初の酒の失敗をしためでたい日でもあったのだ。お酒飲むと吐くんだね。死ぬかと思った。
あれから半年、沢山のさよならをした自分。
何も変わっちゃいない。自分
変わるのは怖い。
四歳年下の人間と一緒にいるとその若さが素晴らしく思える。
でもきっとあの頃の自分に出会ったら殴るしかない。
結局何にもしなかった、夏休み。結局何もなかった、夏休み。
課題が意味わからなすぎて無駄に悩んで、でも本当は合っていて割と「♯8月31日」状態だった自分。のど元過ぎれば馬鹿らしい。峠を超えれば苦しさも忘れる。忘れたくないのに。
私は、それから風呂場でお洗濯。このごろ、へんな癖で、十二時ちかくなってお洗濯をはじめる。昼間じゃぶじゃぶやって時間をつぶすの、惜しいような気がするのだけれど、反対かも知れない。窓からお月様が見える。しゃがんで、しゃッしゃッと洗いながら、お月様に、そっと笑いかけてみる。お月様は、知らぬ顔をしていた。ふと、この同じ瞬間、どこかの可哀想な寂しい娘が、同じようにこうしてお洗濯しながら、このお月様に、そっと笑いかけた、たしかに笑いかけた、と信じてしまって、それは、遠い田舎の山の頂上の一軒家、深夜だまって
背戸 でお洗濯している、くるしい娘さんが、いま、いるのだ、それから、パリイの裏町の汚いアパアトの廊下で、やはり私と同じとしの娘さんが、ひとりでこっそりお洗濯して、このお月様に笑いかけた、とちっとも疑うところなく、望遠鏡でほんとに見とどけてしまったように、色彩も鮮明にくっきり思い浮かぶのである。私たちみんなの苦しみを、ほんとに誰も知らないのだもの。いまに大人になってしまえば、私たちの苦しさ侘びしさは、可笑しなものだった、となんでもなく追憶できるようになるかも知れないのだけれど、けれども、その大人になりきるまでの、この長い厭な期間を、どうして暮していったらいいのだろう。誰も教えて呉れないのだ。ほって置くよりしようのない、ハシカみたいな病気なのかしら。でも、ハシカで死ぬる人もあるし、ハシカで目のつぶれる人だってあるのだ。放って置くのは、いけないことだ。私たち、こんなに毎日、鬱々したり、かっとなったり、そのうちには、踏みはずし、うんと堕落して取りかえしのつかないからだになってしまって一生をめちゃめちゃに送る人だってあるのだ。また、ひと思いに自殺してしまう人だってあるのだ。そうなってしまってから、世の中のひとたちが、ああ、もう少し生きていたらわかることなのに、もう少し大人になったら、自然とわかって来ることなのにと、どんなに口惜しがったって、その当人にしてみれば、苦しくて苦しくて、それでも、やっとそこまで堪えて、何か世の中から聞こう聞こうと懸命に耳をすましていても、やっぱり、何かあたりさわりのない教訓を繰り返して、まあ、まあと、なだめるばかりで、私たち、いつまでも、恥ずかしいスッポカシをくっているのだ。私たちは、決して刹那主義 ではないけれども、あんまり遠くの山を指さして、あそこまで行けば見はらしがいい、と、それは、きっとその通りで、みじんも嘘 のないことは、わかっているのだけれど、現在こんな烈しい腹痛を起しているのに、その腹痛に対しては、見て見ぬふりをして、ただ、さあさあ、もう少しのがまんだ、あの山の山頂まで行けば、しめたものだ、とただ、そのことばかり教えている。きっと、誰かが間違っている。わるいのは、あなただ。
本当にね。
ずいぶん前から自分の口癖は「早く死にたい」なのだけど、うちのくそババアそっくりになってきたなと思う。人間てなんなんや。
誰かを酷く傷つけて自分はさも悲劇のヒロインのように振舞って、それでいて「死にたい」「自分なんか死んだほうがいい」「お前らもそう思ってるんだろさっさと私が死ねばいいって」って家族に言うんだもの。
ところで、これうちの父親も言うんだよね。
そら、私も病むわ。
こんなの親子三代で言う言葉じゃないよ。
悲しいね。
まぁ、うちの親子三代は片付けが出来ないのだけど。
お母さんがもしもあの家から居なくなったらすぐに汚れると思う。
決して、障がいレベルの母方のおばさんのゴミ屋敷とは違うんだけど。
いや、分かるよ。気持ちは。でも、あれはどちらかというと「いつか捨てるから床をゴミ箱にする」んじゃなくて「ここは肥溜め」くらいの違いがあるからね。ゴミ箱というのはいつか集めてゴミを回収してもらう気概があるのだけど、あれは家自体が肥溜めだからね、流石に自然に還るってレベルじゃないからね。
まぁ、傍から見たら五十歩百歩でどちらにせよ生活に支障が出てるんだけどね。
それは同じだと思うよ、
現に私だって、前のアパートからかなり環境よくなったのに結局汚部屋になったからね。ウォークインクローゼットあるのにね。
あ、これ環境のせいじゃないな。
自分の性格の問題ですね、これ。
自分の残り時間は何年?
女はクリスマスケーキと一昔は言った。クリスマスケーキになった母は妥協して父と結婚した。故にこんな不幸な人生歩んでるともいえる。
22歳。
クリスマスケーキまで残り2、3年。
専門学校卒業した時は24歳。大学院生で結婚する人もいるっていうのに、そんな影もない。寧ろ、自分の性的指向が分からない。母に言わせてみれば四年なんてハンデは何もないとはいえ、いや、んなわけないじゃん。
晩婚化っていうけどさ。そら来年還暦のヒトから言われたらそうかもだけど。
今の60歳が若いとしても、年々白髪の増えていく親を見ると子供のままでもいられないのだろうと思わされる。
地元帰ったら同級生は子供抱いてるんだよ。そういう年なんだよ。
おっさんじゃないんだけどさ、がっつりしたものが食えなくなった。ピークより。次郎食いに行けばよかった。いや、まだ間に合うかな。体がBBショコラを求めだす。食い物の指向が明らかにOLみたいになってきた。でも、やっぱりおぼんでごはんは二杯目食わないと損した気分になる。
まぁ食う量さほど変わらないから、体重は減らないけども。
オールが余裕な十代といると自分が酷く年老いたように感じる。
温泉とか行きたいけど、それもめんどくさい。
母は夏休み中ずっと家にいる私を案じた。若いのだから遊んできなさいと。
友人も職場の人からそういわれるらしい。
二人とも男のけ等ナシだし、男女交際って美味いのかそれ状態だからな。
嘘も言えない、正直な馬鹿だ。
いつまでも子供の心を持ち合わせた馬鹿だから、さ。
同い年、っていうか大学生だって実家と縁切ってる奴だっているのにさ。
なんなんだろ。
何が地獄なんだろう。たしかにあの子が言うようにあそこで自殺未遂でも起こしてたらよかったのかな。
え、人間って息してるだけじゃ駄目なんですか⁉
人が美しく着飾ることの意味、人間の形。
おしゃれとかどうでもいいって思うけど、そうじゃないと周りに人間として扱ってもらえないわけじゃん。
とりあえず、下着履いてるだけで褒めて欲しい。法律で一応捕まらない服装してるんだから誉めて欲しい。毎日お風呂入って洗濯して完全に乾いてる服着てるだけでも、汗かいたらちゃんとデオドラントシート(無臭)で拭いてるだけでも褒めてくれや。
褒めてって言うか、非難しないで人間として扱ってくれるだけでいいよ。
自分の憧れるものがはっきりしていているって結構凄いことだと思う。
自分の憧れるものが社会的に是とされてるって凄いことだと思う。
イケメンでしか許されないっていう恰好を好きな不細工は悲劇に近い。
なんかもう疲れたよね。人生。働いてから言えや自分。
努力しろっていうけどさ。そもそも、幼少期に脂肪細胞出来る家庭環境(ものの判別無いのに四食食わせる、断る残すことが出来ない)と思春期にステロイドって結構心折れてるんですわ。
普通の人間並みに動いてるし、たいして大食漢ってわけじゃないよ。やっぱ食わなきゃ痩せるのかな。まぁ甘やかされるっちゃ甘やかさてるけど。
ダイエットしない奴は、太ってる奴は自己管理が出来てない奴っていうけどさ。
まあ、それはその通りだし保険料泥棒って言われても仕方ないかもだけどさ、
そんなにボロクソ言う必要ある?喫茶店でまとめ読んでたら涙出てきたよ。泣きながら家に帰ったよ。生まれてから一度も痩せてた時の記憶ないんだけど。幼稚園の頃にはもう肥満児だったし、物心、ついたら太ってていじめられて家でも面前DVやばくてストレスが食う事だけでしか解消されなくて、寧ろあそこで食ってなかったら死んでたんじゃないか。いや、死ねばよかったのかもしれないけれどさ。
大きな代償と引き換えにいじめが収まったら原因不明の病気で生死彷徨って治療で副作用のデパートの薬を飲んで成長期に伸長が止まって躁鬱とムーンフェイスと異常な食欲で22キロ増やぞ。その間も色々首絞められたりしたんやぞ。
良く死ななかったなお前。いや、本当にさ。その癖、上の兄貴が死んでるから命を粗末にも出来なくてさ。
人一人が死ぬってことは本当はとっても悲しい事なんやぞ。
いつも、死にたい死にたい言うてる奴が矛盾言ってるんじゃねぇよ案件なんだけど。
でもさ、じゃあ本当に遊べる時間はあと何年何だい。
二十代があと七年と半年。学生で東京にいれる時間があと一年と半年。
そう考えたら自分に大して時間は残されていないことを知った。
専門学生というアディショナルタイムがあるというのに、また自分は時間を無駄にしている。結局変われずに夏休み一か月を無駄にした。だって40度近いと外にも出たくないんだわ。
人がずっと変わっていく中で、自分は変わらない。
変わりたくない。こわいっちゃこわいんだ。変わることは。
そら自分は何度だって信条がアイデンティティが変わったさ。
でも一度だってこの容姿を変えたことはない。
誰かに姿を生まれ変われたら楽に生きられるか。そんなわけない。
結局中身は私だ。醜い自分のままだ。
ネトフリの富田さんがまんま過ぎて悲しいよ。
てか、彼女役作りの為に太って元は痩せ体質なんかい。
ジナコ=カリギリを地で行くけど、やっぱりハーフの血って凄いんだな。
時々、思うんだ。日本の社会。
仰天ニュース、ビューティーコロシアム。
太った人の悲劇と人生を他人が勝手にジャッジするな。
整形した、変わった人に賞賛を贈るのもいいが、元々彼らはなりたくてそんな顔じゃねえと思うんだわ。
いいよ、これは負け組の遠吠えだよ。でも言わせてくれや。
そういう番組が容姿差別産んでるんじゃねぇの?
整形してない醜い人間が生きづらい世界にしてるんじゃないの。
そら、そうだわなスポンサーがそうだものな。人生つらいな変わりてぇなって思わせるためにあの番組してるんだものな。
なぁ。
自分の身体のまま、自分を愛させてくれよ。
別にサービス業つこうとしてるわけじゃねぇしや。油まみれになる仕事つこうとしてるだけだしさ。
私が男なら許されたのか。なんかどっちにしろ、男にしろ、女にしろ、分からないにしろ、どこにいても生きづれぇ世界だな。
悲しくねぇのか。
俺は悲しいよ。のうのうと笑ってる奴らが憎いよ。だけど、あんたらだって悲しいだろ。
なぁ。人間、生きてるだけで許してやろうや。私も許すから、赦してくれよ。人間の扱いしてくれよ。
変われないままでも許してくれよ。許してやれよ。
血のにじむ努力で痩せたんだね、偉いよ。そら偉いよ。
でも、そんな思いもせず、石をぶつけてる奴らは何なんだ。
私に石をぶつけていいのは変わったやつらだよ。最初からそのなりだった奴らに投げる資格はないだろ。
別にデブを称えろって言ってるわけじゃない、その石を投げる手を止めてくれるだけでいいんだ。
もし、それで手を止められないのならば、それは悲しいことだと私は思うよ。
変わっても変わらなくても、人間でいさせてくれ。
私はこの22年、この肉と生きてきたんだ。
愛してもいいだろ。
それでも人は変わるものだから
なんだかんだ環境で人は変わる。それは実際たいしてそうなんだ。容姿は変えないとしても、生活習慣変えないと内側から生きるのがしんどい。正直、さっさと寝たいし、ご飯は10時前に食べたい。せめて。
年齢でそういうのは変わる。
変えたくないけど大人になる。
とりあえず内的な生活に支障は出るから、汚部屋から抜け出したい。
昔みたいにものをとっておこうとはあんまり思えなくったし。
なんか、ホテルみたいな物の少ない部屋に住みたいと思った。
だから自分は変えたくないけれど、せめて部屋なら変えられるような 気がするんだ。
ていうかな、流石にあんまり近くに飲食店ないから家で食うしかないんだけど、床飯がしんどいんだわ。しんどいのだ。
凄い進展だと思う。トイレ飯が出来る人間が床飯しんどいって思えるようになるの。
とりあえず、頑張ってみるかな。な。