さばかりの事

メンタル弱めな喪女新社会人の記録

他人の色眼鏡自分の色眼鏡

人を嫌いになるだけ自分を嫌いになるが、人を好きになったところで自分を好きになることなんかできない気がする。

 

今回は自己嫌悪の話です。記事自体は9月24日に書いてます。

 

ちょっと京都旅行の最中に複雑な気持ちになったので書いてみる。

 

きっかけは安井金比羅宮

知らない人は知らないけれど、知っている人は知っている。ご存知、京都は安井金比羅宮

ここで知らない人にざっくり説明すると、不遇な人生を送った三大怨霊とかの一人とも言われている崇徳天皇をお祀りする神社である。不遇ぶりはウィキを見て欲しい。あと源頼政大物主神も祀っているんだけどね。櫛塚とかもあるけどね。昨日櫛祭りだったみたいだね、なんかその前晴明神社もいったんだけど、お祭りだったみたいだね昨日。

崇徳天皇 - Wikipedia

そんな安井金比羅宮は、縁結びと“縁切り”の御利益で有名である。お札に願い事を書いて、崇徳天皇の力の宿る石の穴をくぐってお札を貼るという、それだけの行為。それだけの行為なのだが、いかにも呪術っぽいのは気のせいだ。

気のせいだ、数多吊るされてる絵馬を見ると実名で恨み辛みが書いてあるなんて。

いや、もう読んでて笑ってしまった。

どんな酷いことをされてきたのだろう、この人達はと。親戚一族郎党ペットまで幸せになるな、と書く怨念は凄まじいものがある。みんな、幸せになればいい。

 

そう、この時までは私も笑っていた。

 

お札に願い事を書いて石をくぐって貼る。それだけの事だ。しかし、いざお札に願い事を書いてみる。以前、私があげた記事で遅刻欠席魔の癖に無意味な質問を繰り返し先生を嘲笑う話し声のでかい馬鹿とミソジニー思考が強い阿呆がクラスに居て、学校に行きたくなさすぎるというのを紹介した。もうあの時点で恨み辛みが書かれている。

 

tanato46.hatenablog.com

 

そしてそれをお札に書いてみる。

 

そうすると、自分の欲望というものを直視することになった。

それでもって縁切りと縁結びの神様だから、私が良い理解者と巡り会え幸せになれますようにだとか、自分が自信を持った人間になれますようになどと書いた。

 

おこがましいなと思った。

 

でも、事実それで自分は苦しんでいる。とても。

でも、そんな事実をつらつらと紙に書いているとこんなに自分は人のことを嫌いなのかと軽蔑しているのかと直視して、自分が嫌になった。

 

そもそも、自分はいつも「お前なんか死ね」というのが口癖なくらいに自己嫌悪が激しい。その癖に誰かと比べ自分はマシだとか一喜一憂している。その癖に死なないし、自傷行為もしない。結局は自分が一番かわいい。誰かのために生きるなんて出来ない。だとしても自分の為に生きることもできない。中途半端な人間だ。だから、神頼みだってしたくなる。そこまで強くない。

 

真逆の願い

安井金比羅宮にお詣りしたその後は、流れとして近くの六道珍皇寺六波羅蜜寺にお参りに行った。

六道珍皇寺はざっくり言うと、あの世への入り口である。閻魔様が祀られ、あの世と行き来した小野篁という人を祀っている。

六道珍皇寺 - Wikipedia

そして、例の如く絵馬を見た。見ちゃうんだよね。なんか、そして祈りたくなる他人の幸福を。

水子供養もしているのでそれの絵馬も見てみるとやはりごめんねとか早くあの世で抱いてあげたいと懺悔に似たものが多い。絵馬に願いごとというよりは親から亡くなった子供へのメッセージなんだろう。

そこで私は死んだ兄、というよりも両親のことを思った。数日前、夜中の11時過ぎ五件の着信が父親からあった。大学時代から夜中の着信は多かった。でも、大学時代よりは格段に減った。

しかし、今回のは多かった。5分くらい放置していたらずっと鳴っていた。23時30分近いのにな。

ホテルだったし、旅行に行くことは親には言っていなかった。前もその時間に電話して、彼氏は家にいないかとか言ってきて不愉快だったこともある。

そんな中で今ホテルにいるなどと言ったらどうなるか。因みに問答無用でFaceTime(テレビ電話)でかけてくる。やめてほしい。顔だけ写してると部屋を写せ男はいないかとか言ってくる。やめてほしい。

そしてそれを無視して翌日。朝一でかけようかと思ったら、祝日なので10時頃かけようかと思って比叡山行きのバスの中。かかってきた、祖母から。

 

内容は以下

・昨日の電話気がついたか

・昨日電話して出なかったら誘拐されたんじゃないか警察に電話した方がいいんじゃないかと心配していた

・だから、もう少しして親が起きてきたら電話して欲しい

 

は?

ここで私の状況を説明しようと思う。

・22の女で、一人暮らし(自立はしてないすねかじり)

・祝日前日曜夜11時過ぎに電話

・5回電話して出ない(ここまで30分くらい)

 

これで、警察に電話したら恥かくぞ。

この年代の娘にこの時間に電話する方が野暮ではないのか?

ふつうに、この年代なら彼氏とそういうことしてる状況だってあり得るんだよ??てか、そうじゃなくとも普通に寝てるとか寝てるとか(重要なので二回)風呂に入ってるとかいう思考は無いの?今もこれホテルの個室浴槽内でスマホで文字打ってるけど、ここでFaceTimeされてみ?全裸やぞ我。

 

バス内だからと早く切って比叡山のバスセンターで父親に電話した。

昨日は気がつかなかったごめんねと言ったら、お母さんがいっぱい電話かけてた言ってた。

また、内容としては

・お母さんが心配していた、だから後で電話かけて欲しい。

・あと台風来てるけど大丈夫か。千葉の友人のところはこの前大丈夫だったか。

・学校のうるさい二匹はまだいるのかと。

 

いや、あのお母さんはあんまり心配してないと思うよ。

あと千葉の友人のところ聞いてどうするんねん、見舞金でもやるんかやらんやろと

台風むしろ新潟のそっち向かってるんだけど

学校の二匹はまだいるよと、居るから安井金比羅宮行こうと思ったんだよ。

 

そっかと適当に流しつつ、電話を切った。

その後、昼過ぎに母親に電話した。あの人、殆ど着信来ないから休日の昼過ぎにしか携帯身近に置いてないよ。出ないことが殆どだよ。家電した方が早いけど、それはそれでババアを取り継ぐのも嫌だし電話したよ。

そしたら珍しく母出て曰く

・昨日は寝てたんだよね気がついてないよね?ね?

・昨日は父親が電話かけてた

あと私が常識的に考えて親戚に夜11時過ぎに電話しないでしょ何かあったかと思うじゃん(実際、過去に電話出なかったら「母ちゃんが死んだ」ってメールが来た。構って貰えないからってふざけんのも大概にしろや)迷惑、と言ったらお父さんの前で迷惑とは言ってないでしょうねと釘をさされ。(ここで私が迷惑とでも言ってたのならば、瞬間湯沸かし器並みの圧力で母親に暴力が向かう(マジ))

 

そんな感じで

祖母→父→母

への「電話してあげて」の流れ。

最近は面倒になってしてないけれども、少し前までは実家帰る時もこの順番で電話を個別にかけていた。

報連相とは何だろう。

 

私よく、自分が3人くらいいたら良いのにとか思う。もし、これが兄が生きてたのなら2人くらいに減ってたのかな…

 

てか、証言が一人違うんですけど。

父は母がかけてたと言い、母は父がかけてたという。因みにスマホは父親のものです。

ダウト。

 

いや、構ってほしくて電話して欲しいのなら昼間かけてきて欲しいし。お酒の入ってない時に。素面の時にかけてきてよ。深酒飲まないと眠れないくせに。

 

そんな感じを思いながら、さっきまで誰かの幸福を祈っていた自分も少し不幸を望みそうになる。安井金毘羅宮で祈るべきは親との縁切りなんじゃないか、と一瞬お宮で考えがよぎったがそんなことあったらどうなるか。少なくとも蜜月期はあるし、心配からの過激思考だし、親子として当たり前に長生きして欲しいという思いはあるわけだし、何かあると嫌だし、第一そしたら自分はどうなるの。22でこんな無力の二年遅れを拾ってくれるところなんてあるの、第一自分には何が出来るの何も出来ないじゃないかとかいう思考があって、願うのはやめた。

 

そんなことを思いながらに六道珍皇寺の本来の絵馬を読んでいたら「早くあの世で大事な人と逢いたい」だとか「死ぬ時もあの世で会えますように」と言った願い事を見つけて素直に羨ましいと思った。そんなに好きな人に出会えるのか人生って。

安井金毘羅宮の実名やイニシャルで元カレや誰かを呪うような願い事を見たり、借金とか抱えた家族と彼氏という問題をこれでもかともった人間と頑張って生きていくけれど、これが悪縁なら容赦なく切ってくださいというお願い事を見た後だから、エモ…いとあわr…得も言われぬ感情になった。

ふと、道で幸せそうなカップルを見て、好きな人と休日に出かけた後に同じ家に帰る、さよならをしない幸せはとても幸せなものだなと純粋に羨ましく思った。死別以外にさよならは無いのだもの。だから、そんな出逢いをしていたら、早くそばに行かせてくださいといった願いが生まれるのだろう。羨ましい限りだ。こんな幸せな死にたいが世界にあるなんて。

 

子を思う親の心

話は六道珍皇寺に戻る。

お参りを終えたあと六波羅蜜寺に行く道中に幽霊子育て飴の店を見つけて飴を買った。

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世の中に諸説あれど大体幽霊飴の物語は以下のようだ。

むかしむかし、身重の女が行き倒れ、寺の坊主が哀れに思い六文銭(三途の川の渡し賃)を持たせ埋葬した。近所の飴屋に夜な夜な女が現れ子供の夜泣きにと毎夜飴を買い求めていく。七日目の夜、金は無いが譲ってくれないかという。確かうろ覚えだが着物だか置いてくんだった気がする。飴屋が不審に思って女の後をついていく。すると寺の無縁塚ですっと消えていく。そうすると下から赤子の泣き声が聞こえ、寺のものを起こしてそこを掘らせると息絶えた女の腹から赤子が生まれ生きて泣いていたという。

そしてその飴屋は幽霊飴や子育て飴として繁盛するというのが大体のセオリーである。

ここが発祥の地として有名であるが類似の話は全国に残る。

例にも漏れず自分も父親からこの話を聞いた。恐らく兄の為に買った児童用怪談話の本を何度も父親の仕事の合間を縫って読み聞かせしてもらった記憶がある。その後、自分でもその本を何度も読んだ。

それが無かったら今の自分はいない。

断言できる。

それぐらい自分の好きな昔話というものに関して記憶が絡んでいる。大好きだ。

そういう思い出があるから、愛されていないわけではないと分かる。だけども辛いんだ。こういう思いが無かったら、 すんなりと諦めがつく。大嫌いになれる。

今回、安井金毘羅宮で友人の女家族三人がちゃんとあの最低な夫と離婚して縁切って幸せに暮らせますようにとか勝手に祈って来たわけだけども、話聞いてて男がそういう全てが最低だとわかればいいんだけどもそうじゃなくてうちの父親も祖父母という毒親の被害者だと思うと捨てきれない。

結局、大事だし。悲しませたくない。この野郎此畜生と思っても、死んでほしいとか思っても、そうすると凄い死んでほしくないと思う。長生きして欲しい、大事だと思う。

普通の家庭の様に、子育て飴の幽霊の様に、あの二人は私が何かあったら命を差し出せる、そんな親だと知っている。でも、つらい。兄と比べられるのはつらかった。いまもつらい。

こういうの、共依存っていうんだよね。そういうサイトにある、中庸が難しいの凄く分かる。カウンセラーに距離感がおかしいっていわれたの覚えてる。

関係性が1か0なんだよ。敵か味方かなんだよ。ダブルバインドつれぇんだよ。

誰の願いだって本当は叶えてあげたいよ。 

 

地味に試食で貰った飴の味がよく祖父に貰ったべっこう飴の味に似ていて悲しくなった。

小学生のあの頃の何も知らなかった自分が一番幸せだったと思う。一番残酷な人間だったときだけど。と思ってしまう。

 

幽霊飴を買って

六道珍皇寺から六波羅蜜寺へ。

特に空也像とか見ずに帰ってきてしまった。修学旅行生が沢山いて若いなと思ってしまった。意外と知られてないし私も初めて知ったけど、ここのおみくじが四柱推命占いで一年ごとの運勢なのだけども凄く正確らしい。そして自分の運勢的には、チャレンジ精神が出るときだけども金銭トラブルが発生するかも注意して、でもケチらないでねと出た。正直よくわからん。既にこの旅行で10万ぶっとばしてますけどね。

 

そうして、お参りが終わって五条大橋を渡り川辺で五分くらいぼーっとした後、京都に来てから三回目のなか卯で昼飯兼夕飯を食べ宿に戻った。

その間、ずっと通り行く人が自分の陰口を言っているような気がしてならなかった。自分でも怪しい予兆だと自覚はしていた。でも、なんか笑い声とか聞こえてくるとそんな気がしてならない。

 

そんなものだから、色々とメンタル面のサイトを見てみる。

今回の題字にあるように人を嫌う分だけ自分を嫌うことになる、というのは本当らしい、それでもその解決策を見てみるとどうでもいいかと他人をゆるせとあるのが大体のオチだ。

それが出来ていたらこんなサイトは開かないよ。

それが出来てねぇから苦労して、出来ない自分に自己嫌悪するんだよ。

自己嫌悪しちゃう自分に自己嫌悪するんだよ、無限ループか此畜生。

 

色眼鏡

話は変わるが自分は、とあるTwitterの界隈に属している。その中で自分はとある人と仲良くさせて頂いだいている。その人はいつも、言動が一致していない。人気者になりたい、と公言する癖に行動に出ない。この世の中、炎上してなんぼなところがあるのだが、それもしないでただただ人気者になりたいと言っている。いつだったか私がどうして人気者になりたいのか、人気者になって何をしたいんのか問いただしたことがある。その時、その人は自分が人気者になって公言権を得たいと言っていた。それじゃあ、トランプと同じなんじゃないかとか思うのだが世の中はそうじゃない、人気者は結果であって目的ではない。気持ちはわかる。確かにこのSNS時代、いいねの数とフォロワー数が心の指針となる。それで一喜一憂する。実際、自分もそうだ。同じだ。

でも、私のはちょっとした自尊心が満たされるためのいいねが欲しい。最近は自分の身うちしか見ていないからありがたいことだけれどもそれでいいのかと思ってしまう。それに比べて、彼は人気者になりたいといいいながらそもそものフォロワー数というでかい母体を持っているにも関わらず、全く配信しない。そりゃ記事が無ければ閲覧もいいねのしようもないのだ。当たり前のことを彼はわかっているのだろうか。

 

でもこんな彼だからこそ、配信の時は控えめさというか良い人なんだろうなと思えて自分は好きだ。でも彼はSNS上の文体がおっさんのlineそのものなので絵文字多用を何とかすればどうにかなるんじゃないかとは思っている。でも自分はその一言は言えない。遠回しに老けて見えるけど何歳なのと聞いたら18と帰って来た。今どきの18歳はそんなヤバい文体じゃないよ。そもそも何なんだよ、このご時世にPCのない環境の実家住猫多頭飼い独身男性って。自分も人のこと言えた義理じゃないけど、やべぇぞ。そして、それを一瞬でも好きになりそうになっら自分は何なんだ。応援しようと思った自分は何なんだ。

 

そんな感じのSNS環境で、人生つらいと呟いてたらダイレクトメールで彼から怪文が届いた。相変わらずの絵文字多用のおっさん口調。

サングラスの切り抜き裏透過じゃない画像を切り抜き大変だったんだよと寄越して、サングラスをかけたら世界が変わって見えるかもよ、とのこと。ちょっと意味が分からない。

そもそもそういう切り抜き、アプリを使ったら一瞬で終わるじゃん。

戯れにそれをかけた画像で、「確かに色眼鏡で見れば世界の見方は変わりすね」と送った。私は皮肉のつもりで送った。色眼鏡でものを見るというのは、偏見でものを見るという意味だ。そしたらたしかに世界はまったく見え方は悪い方に見えるだろうという意味で送った。それにそうだろうとその一文に対して絵文字つけて返信をよこした。

あ、これ皮肉言ったのが気が付いてないな。

なんかもう、呆れて返信するのも面倒になってしまった。

そんな自分も彼のことは色眼鏡で見ている。

そんな自分も嫌になってくる。

そもそも、こんな自分が人を好きになることがおこがましい。人のこと言えない。

 

全部自己嫌悪で潰れそうになってくる。

次第にそのTwitter界隈でクィア系の投稿が出てきて、自分は何なんだろうと思ってしまう。

美しさが故に女に妬まれ男になりたいと願った人をお姫様として愛したかった、王子様になりたかった醜い女。

分かりやすく言うならこれだ。

その癖にウテナのように努力はしない。

なんかもう考えるのも疲れたな。

多分、自分は誰かに甘えたいだけなんだよ。だけ、っていうのが多いんだよ。

なんかもう疲れたな。このお話の機会は別にもうけようこれまで散々吐いてきた話だけど。

 

京都旅行の話は後日まとめて載せます(宣言