さばかりの事

メンタル弱めな喪女新社会人の記録

人生で疎開した日の日記。

令和元年10月11日20時52分、

私は隣の隣の東海道のホームの喧騒を横目に21番線ホームから上越新幹線に乗り込んだ。

 

 

巷では千年に一度だとか言われているスーパー台風、19号が着々と日本列島に近づいていた。

 

車窓の外から東京の眩い電気の明かりが見える。これが明日には真っ暗になるかもしれない、水浸しになってさながらワルプルギスの夜のような光景になるかもしれないという可能性が信じられない。

 

私は東京なのか神奈川なのか山梨なのかよくわからないような東京都に住んでいる。いつも大体Google先生の勝手な現在地推定は神奈川県だ。だからきっと神奈川県だ。町田市は神奈川県だ。町田市のエリアメールが歯科医院の治療室の患者さんの携帯電話から鳴り響いていたから町田市だ。きっと。

 

そして、私の住んでいるところは19号の進路では真ん中を突っきるようなところだった。朝までは。windyという小笠原諸島住民御用達のサイトのアプリで確認したら、日曜日の0時頃、自分の住んでるところのすぐ脇を台風の目が通っていく予定だった。

 

私は死を覚悟した。

 

それでも世の中、ゴジラがやってこようがコジマ電機の店員が営業を続けさせられていたように、

予測が出来る大災害の中でも前でも学校や職場というものはやって来いという。

こんな時に命をかけてするお仕事は誰かの命を救うようなお仕事だけでいいと思う。

こんな災害時に学ぶのは偉い大人になった時に逃げようと周りに呼びかけて全員生かすようなことだけでいいと思う。

それでも人間は日常が崩壊するギリギリまで日常を続けようという。その癖、自分以外の誰かの日常が崩壊した時には不謹慎だと言って自分も非日常に安全地帯から触れに行く。

メディアは被災地のお気持ちを触りに行く。

それを報道の自由だとか言って、平気で流す。誰かの気持ちに寄り添うどころかその誰かやそれを見る人を悲しませてる。それを酷いと見る人もいれば、心を痛めながらも実況する人もいる。ざまぁと言う人だっている。

まぁ、今回のブログは自分もそんなメディアの一人なのかもしれない。安全地帯から当事者のように語るのだから。

 

大体いつも私はこうして文章を打ち紡ぐのは自分の気持ちを整理する日記のようなものをネットの海に置いておくだけだ。

日本人はずっとこうして日記をつけては過去の大災害を今に伝えてきた部分もある。

そんな何百年後の貴方に伝える気持ちで書いている。今昔物語の下らなさを、どこかの貴族の下らなさを、万葉集に見える庶民の下らなさを、人間としての愛しさを、誰かに伝える為に、私がそうして元気づけられて生きているように書いている。

 

ところで十三夜に曇りなしという言葉がある。2019年は今夜がそうだという。

これは9月の十五夜には曇ったりそれこそ台風の残りで月は見えないが、10月の十三夜には秋晴れの夜空で月が愛でられるという意味だ。まぁ、詳しいことはググれ。

しかし、今年に限ってはどうだろう。晴れどころの話ではない。しかも、十三夜の満月、大潮だ。明日の事は分からない。どうなるかは分からない。どうにも、誰も傷つかないことを祈る。

そんな、誰が言い出したか十三夜に曇りなしの言葉に嘘じゃないかといちゃもんをつけるわけじゃない。実際片見月は縁起が悪い(十五夜と十三夜の片方だけの月見は縁起が悪い)と言いだしたのは商業的な思惑が江戸の昔からあっての話であり、ここ数年のスーパーやコンビニチェーンの十三夜の月見団子に手をつけ始めたのもバレンタインやクリスマスといったお祭り好きな商業的な思惑があってのことだ。

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まぁ、元々は月見団子は芋の収穫祭みたいなものなんだけど、決してそれが西洋から違う形で伝わってきて渋谷でただ大騒ぎするようなものになってしまった。カブのランタンをすこれ。

 

しかしながら、そういう10月31日の渋谷の大騒ぎもフェス会場のモッシュダイブも、ヤクザ混じりの御神輿とそう変わらないのかもしれない。盆踊りなんかサークルそのままじゃねぇか。わざわざ、それを人々は参加しなくても見物しに行く。わざわざ、そこで普段食わないような食べ物をかなりの割高で買って食べる。

今朝食べたスーパーのたこ焼きは私に花火の火薬と土手の草の匂いを思い出させたように。

 

皆、要は非日常を求めている、ハレを求めている。

そりゃ、皆で台風前にコロッケを買い込んでテレビ実況をTwitterでお祭りするんだ。

そのうち、クリスマスケーキみたいになるんでなかろうか。

 

これって疎開では。いや、避難でしょ

私の住んでいるところは明日600ミリの降水があるとTwitterの画像で見た。ここ数日私は何度もハザードマップを眺めた。アパートは50センチの浸水地区にかすっていた。しかし、造成地なのと、一人暮らしなのとそこまで周りの地形がよく分からない状況だった。何日か前から、Twitterで19号はヤバいと言い続けられていた。だから視野に疎開が思いついていた。見知らぬ土地で頼る人もいない土地で、明らかに電柱が折れそうな風速と近隣ダムが放水しそうな降水量。圧倒的、死~。

故に、数日前から地元帰ろうかなとか言ってたら案の定クラスの子が実家帰ると言い出した。それが11日の昼休みのことだった。私も迷った。

でも、帰って来られるかは保障出来ない。

でも、帰ってこられない様な状況になったら学校休みになるだろ。

と、迷ってたら母親から電話が来た。言葉は同時だった。

「帰ってこない?」「帰ろうかな」

それが11日の午後6時20分くらい。歯医者が終わってすぐ。

正直、歯医者が入ってるから残らなきゃかなみたいな思考があった。

尚且つ、学祭が今週末にあり、月曜日は来い、みたいなことを先生から言われていた。

でも、月曜に復旧してると思って?

日野のあたり、停電警戒区域になってるよ、中央線動くと思って?

もう、どうなるか分からな過ぎて。

 

なんか、レベル5のハリケーンの跡とか過去の大規模台風の跡とか見ちゃうとさ、がれきの山じゃん。家が崩れるのは恐い。私は家が崩れかかったまま、土砂に埋まった後の光景を見たことあるんだ。まるで時が止まったような。

 

千葉の友人にはどうか生きてとか、落ち着いたら君の方から連絡してとか言ってある。

 

私が考えすぎなだけなのかな。

 

7時ころ着替えをバックパックに詰めて家を出た。荷物を詰めるとき、失っていいもの絶対に持っていきたいものの自分の中でわずかな時間でジャッジする行為は何だか自分が試されているような気がした。増税前に慌ててポチッた合計一万越えの書籍は置いていき、数日前に買ったロキソニンを詰め込み、パソコンは入れて、ポケットWi-Fiは置いていった。冷蔵庫の中の未開封乳製品は置いていき、アボカドと柿と月見団子と菓子パンとペットボトル一本は持っていく癖に、二割引で買った80円の賞味期限切れのサラダは置いていく。

この前、京都に行った時に授かって部屋に貼った家内安全の札に祈り、両親に渡そうと思った日吉大社の梛の葉のお守りを入れた。置いていかれる冷蔵庫と冷凍庫の中の食材を自分でブレーカーを落として殺す。「さよなら」という言葉が出た。

 

そして東京駅に着く。事前にTwitterで新幹線の改札がやばい行列でホームに人があふれているという情報を見ていた。在来線からちらりと新幹線ホームを見た時、人がやばくて帰れるかなと心配したが、上越新幹線に無事すんなりと乗れた。比較的混んではいたが。

 

今現在は新潟の実家につき、安定した机の上でこのブログ後半の文章を打っている。

正直、新潟も海沿いは停電しそうなところがある。

まぁでも、東京の地獄に比べたらと、家庭内の地獄を眺めた。

 

いつも私の父親はテレビで災害スペシャルが放映されると「人を押しのけてでも自分だけは助かりなさい」という。また「何かあったらすぐ帰ってこい」と。

 

今回、それが初めて発動した。(半分、自主的なものだが)

でも、明日から学祭で数日休みだとかそういう環境がなければ私はこうして疎開していないのではないかと思う。今回、偶々授業が無いから。周りが帰省するから。

 

じゃあ、今回の台風と同規模でまた台風が来て、もし平日だったら?みんなが平然としていたら?私は今回みたいに逃げたかといえば逃げなかったと思う。

 

逃げる勇気は大切だがある程度の心構えや、その時の環境が整ってなければ逃げるに逃げられない気がする。

 

そんなこんなを思いながらそろそろ寝ないと低気圧と隣で寝てる母に怒られるので寝ようと思う。

 

最後に、

どうか。何も起こらないで。

私のこの考えが全て杞憂であってくれよと祈る。

おやすみなさい。

 

どうか、明日も日常を続けさせてくれ。

どうか、誰も死なないでくれ。

 

カムイ パパイヤ アホーイヤ フルギブピリーヌ