さばかりの事

メンタル弱めな喪女新社会人の記録

疎開先で避難することになった日の話。

(今更2019年台風19号の時の記事を載せるよ。ちゃんと生きてるよ。前半は13日当日に書いているよ。記事に信憑性のない一個人の日記だというのを念頭においてね、本当に日記のつもりで書いてるよ。だから後半本当に関係ないこと書いてるよ〜)

 

令和元年10月13日21時40分、日本ラグビースコットランドに歴史的な勝利を収めた。私はそれを家族と家のテレビの前で夕食を食べながら見ていた。

 残り20分、心臓の鼓動がうるさかった。

 

それよりも、私は今日、心臓が早鳴った。

一応、安全が確保できたので今日のことをここに綴ろうと思う。

 

私は一昨日の夜、東京から新潟に台風19号から逃げてきた。

 

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普段住んでるところがそれこそ緊急放流したダムの近くとかで、地理間も無いし一人暮らしだし怖すぎて逃げてきたのに。

 

朝起きたら北陸新幹線が水に沈んでいた。

朝、「少し信濃川がヤバいかもしれない」という家族の声に起こされた。

一階に降りてテレビを見たら長野県で千曲川が決壊していた。

「ヤバいかもしれない」というのを日曜の朝に聞くのは二回目だ。前回は入院してた祖父が危篤状態になって病院から連絡があった時だった。

 

思えばその時も祖母は「朝ごはんを食べていけ」と言った。75近くだったのに危篤の意味もその状態も知らずに生きてきたのかと思った。旦那が虫の息だというのに。


私は祖母の生まれが長野で長期休暇の度に長野に行く。先だって夏も善行寺に蕎麦を食べに行ったばかりだ。

馴染みの深い土地だ。アップルラインもよく通る道だった。新幹線の架橋もまだ通さないのかと知事がもめてた時期から通って眺めてた。

 

ところで、恐ろしいことに千曲川というのは信濃川に繋がっている。

 長野県を流れる千曲川は何時間、それこそ一日くらいかけて新潟県信濃川になる。

つまり、長野市を水浸しにする水量が時間差で流れてくるのだ。

 

とりあえず、朝ごはんを軽く食べその動向を見ていた。父が川を車で見に行った。

ヤバかった、という話を聞いて私は震えた。遠方の友人にlineをして「ごめん、こっちがヤバいかも信濃川」と打ったのが8時27分。その後、状況をちゃんとまとめて大丈夫だから避難情報は出ていないんでしょ、だったら落ち着きなさい、と友人になだめられた。いや、お前んとこの方が今回やべーとおもってたんだけどな千葉

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その後、動揺した私を見かねたのか父が「川見に行こうか」と車で連れ出してくれた。

 

実際に見に行ったらあと1メートルで越水しそうだった。

あの信濃川が。

それこそ、千年に一度で危なくなるくらいだと言われた信濃川がごうごうとすぐそばを流れていた。一番土手の低い近所の所が、普段は畑とか野球場とか小屋がある部分がその屋根まで、土手の斜面など無いといった状況だった。

そこから山の方を迂回して上流の方を見に行った。父に何度か、戻らなくて大丈夫なのかと尋ねても出てこいとは言われてないから。と。

そして上流の方から戻るとき、一報が入った。支流の川が溢れそうなこと、また川の近くで冠水しているところがあるということ。

近所のそこへ向かうと、川の水位がかつて見たことのない高さまで来ていた。すぐそばに水たまりがあるような感覚で川があって、流れてもいなかった。トイレの水が詰まっているような感じだった。

そして、その先の下流の土手脇では冠水が起きていた。

 

様子を見に行った父が無言になった。私はそれで本当にヤバいと思った。

朝見た千曲川の状況になってもおかしくないと思った。

最後にもう一度信濃川の様子を見に行こうと父が言った。ヤフーの水位を見ると近くの観測所の数値がいつ氾濫してもおかしくない真っ赤な水位になっていた。尚且つ、土手の内側を見たらいい天気だというのに湿っている地面があって水が染み出ていると思った。前日にTwitterで見た、土手が壊れるメカニズムの一つである浸透(越水せずとも土手に水が染み出して脆くなり壊れて決壊する現象)を思い出してこのままでは壊れると思った。

そして、父が家に戻る途中、市内の信濃川の上流地域が落ちたと言った。

 

本当に死を覚悟した。

よほど東京から逃げて来た時よりも違う。まともに呼吸が出来なくて、足が震えてその場にへたり込んでしまう。そんな感じだった。

 

家について、父が着替えて出ていく。

「もしもの時は頼んだぞ」と残して。その時、私は本当にこれが父親を見る最後の時かもしれないと思った。

そして、出て行って数秒後、私のスマホからアラームが鳴り響いた。

避難準備情報。レベルは3。避難が難しい高齢者は先に避難しろ、というものだ。

私はどうしようとその場にへたり込んでしまった。そして、父が数分後に戻ってきて、避難所に逃げろといった。

その時、普段非常時持ち出し袋なんてなかったからあたふたした。震度7でも車内避難だったからこんな信濃川が溢れるなんて考えてもみなかった。

 

テレビでは上流の市内の地域が浸水しているのがヘリからの映像として映った。

そして、一応持って行かなきゃと思ったもの(今思えば何で持ってたのか分からないものばかり)をバックパックにつめて祖母に逃げようと言った。

 

祖母は頑なに家にいると言った。

 

ここがいつ、長野みたいになってもおかしくない状況なのに。

実際、浸水した地域は避難準備情報も出ていなかったときに浸水している。

 

だから、もう。このまま逃げなかったら、街ごと変わるものだと思った。全部あの濁流にのまれると。

 

それでも説得しても頑なに祖母は動かなかった。

「いい、二階に上がる。ボートで救出してもらう」と言い張って祖母は聞かなかった。

私は怖くてもうその場から逃げ出したかったのに悠長に祖母は母が握ったおにぎりを食べて。

因みに祖母は、介助ナシじゃどこにも行けない身体だった。それこそどこかに掴まっていなければ立ってもいられないし、長くも立っていられないそんな体だ。

そういえば前日からまた我が家はいつもの様に大げんかして祖母はもしものことがあっても避難しないとか言い張ってたな。

 

なぁ、勘弁してくれよ。お前の故郷があんな状況になってるんだよ。

ここもそうなるかもしれないんだよ。市内浸水しているだよ。

 

母がもう置いて逃げようと言った。私も渋々了承した。

もうこれはダメだと。

昇降機はあるから一応自力で二階までは登れる。

玄関口で「絶対に死なないでね!!」と叫んだ。

父が出て行ったのを見てか我が家が逃げるのを見てか私が玄関口で叫んだのを聞いてか、近所の人が逃げたというのにあのババアは。

 

震える思いで避難所について家に電話した。

「二階に昇ってテレビ見てて」と。それに対してそんな重く構えてない祖母。

私は「何の為に昇降機つけたと思ってる」と体育館で叫んでしまった。本当に悪かったと思ってる。反省。

本当に何の為に三桁万で普通の一般家庭にわざわざ二階に人一人だけ登らせる機械をつけたと思ってるんですか。金額を近所の人の前で言わなかっただけありがたいと思え。

それでやっとようやくわかったと祖母は言ったが、あれは分かってないのはいはいだった。いつもの「どうせ自分が死ねばいいんでしょ」「私が悪者なんでしょ」の“分かった”だった。

 

電話を切った後も震えが止まらなくて、父と祖母が死んだらどうしようと本当に思った。父はまだ殉職(それでも本職ではない)として思えるけれど、祖母の場合一般的に見たら自分が見殺しにしたことになる。ペット置いて逃げなければならん人の気持ちがわかった。

これ避難所にペット同伴させられるようにすべきだわ。心理的負担が大きすぎる。

 

母がおにぎりを食べて、私も食べようと思ったら吐きそうで食べられなかった。

ゴザだけしかれた中学の体育館。丁度、避難所が私の母校で、テレビの配置が311が思い起こされた。あの時も、ただただ水に飲み込まれていく街を見ていた。

その時、たしか自分は中越地震のトラウマで泣きたかったけど、後輩(女子)が泣いてて頭の剥げた教頭先生に抱きしめられてたのを見て自分は抱きしめられたくないと思って涙が引っ込んだことを思い出して、私はおかしく思った。

思えば、何でわざわざ何百キロ離れた土地から逃げてきたのにその近くで降った降水が巡り巡って時間差で日本海側にいる私を苦しめているのだろうと思った。何でわざわざ千曲川信濃川は距離的に近い太平洋側じゃなくて日本海を選んだんだろうと。

おかしくて悲しくて、そこでようやく笑うことが出来た。不謹慎かもしれないけれど。笑うことが出来た。

 

そして数時間後、城ダムと城ダムの職員さんのように、ギリギリの限界値を超えたところまで大河津分水が頑張ってくれて、信濃川は氾濫危険水位を下りて、避難基準水位に戻り、比例的にあと20分で氾濫注意水位になるだろうというところで皆帰っていくので自分も帰っていった。帰りに少し遠くのコンビニに寄ると人が何事もなく日常を過ごしていた。なんだったんだろう、とおかしくも思えたが実際決壊してもおかしくなかった状況だったのだ。

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冬に近づく秋の寒さと月の綺麗さが10月23日を思い出させた。あの日が嫌に綺麗な月だけだったのを覚えてる。不謹慎かもしれないけれど、本当に自分のところが何も無くて良かったと思った。どうやら自分の東京の住まいもたいしたことなさそうだし(氾濫危険河川に挟まれてるのに山の上って凄いね、絶妙に土砂崩れも起きてないしこれ東京にいた方が安全だったんでは?)

 

ここから後日談

後に、市内で氾濫した場所は信濃川でなくてその支流が信濃川の水流で流れ込まれずに氾濫したのだと聞いた。それならうちの近所の支流も同じ状況になりかけていたのだろうと思う。なら、逃げて正解だったのではと自分を落ち着かせる。

 

 

東京に帰ってきて

ただいま。

あれだけ死を覚悟して出てきた家はまったくの無傷だった。電気も通るし水道も通る。

しかし今回の水害、全く大したことは無いわけではなかった。実際、氾濫か所はこれだけでているんだし。本当は皆が気をつけて軽く見ないで避難したからこそ、これだけの少ない死傷者になったのだと思う。それこそ普段の水防策がなければとっくの昔に氾濫していた、多くの人が亡くなっていたと。

それこそ、メディアが大体的に言って、店から食料は無くなった状況になったのはある種正解なのかもしれない。肩透かしでもいい、それで人の命が救えたのなら。

 

地震は予測がつかないけれど台風は予測がつくんだから逃げなきゃだと思う。

 

ここから秋頃の後日書いた文章

先週、山梨に突発的に行ってきた。まぁそれも馬鹿な話、大きな病院に行くのに5時台に起きたのに時刻表読み間違えて次の代まで不貞寝の二度寝にしてたら、寝坊してダメ元で行ったら案の定受付時間過ぎていたという。

そこから秋晴れの空、なんか帰るのが惜しくなって、愚かな自分へのやるせない怒りをぶつけに中央本線に乗った。各停で甲府まで。高尾駅が混んでたから高尾山行くのもやだなと思ったのもある。

山が綺麗だった。

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ボックス席で目の前に座ったアジア系カップルが終始爽やかなイチャ付きながら彼氏さんが車窓からカメラで写真を撮っていた。彼らはとある小さな温泉街の最寄りで降りていった。もしかしたら新婚旅行とかだったんじゃないかとかこんな自分に怒りをぶつけて突発的に文庫本だけ抱えて各停に乗って旅行気分を味わおうとしている私の目の前でいいのかと思った。

 

あの台風の来る金曜日、先生がここから一番遠いところから来てる奴は誰だとクラスに問うた時、大月から来てる人がいて彼はほんの少しだけ早く返された。そこから彼は復旧するまで学校に来れなかった。遠いようで近いんだな大月…そこからどのくらいかかるのか知らないけど。

 

甲州市のその北の方に信濃川千曲川)の源流がある。

確かにこんなところで轟々と降っても流れてくるんだなぁ……と信濃川長いなぁと短絡的に小並感で思ったところはやはり祖母譲りなのかもしれない。

 

今回、生まれて初めて山梨県に行った。甲府駅に降り立つと、猫のチャリティーやっててほんわかした。こんなノリで来ていいものかと思っていたら、丁度長らくいるジャンルのコラボの最終日だった。そういうところはツイている。

京都旅行に行ってからなんか何処かに行くハードルが低くなった気がする。お金と時間とスマホがあれば大抵人はどこにでも行けるのだなーと。あの時の旅行、今度ここでまとめようと思う。いつになるかわらんけど

 

甲府城跡に登った。山梨は山だらけだった。甲府城ですれ違った、何がヤマナシ県なのだろう、という観光客のご婦人方に全力で同意した。

初めて見る近さの富士山に感動した。

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夕方、再び富士山を見た。

あり得ない美しさで目を疑った。

これは崇拝対象になる。

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また行くわ、山梨。