さばかりの事

止せ止せ問答 とある人間のブログ

1年という月日。3ヶ月という月日。

彼女と喧嘩してから三ヶ月たった。

3日3週間3ヶ月経ったらそしたら人間は落ち着くという。今日、友人と歩いていて、後ろからカツカツ。下駄の音。追い抜いて見覚えのある扇子に思わず「仲間か」と呟く。見覚えのあるリュックと見覚えのある短髪に気づく。喧嘩した彼女(浴衣姿)だった。

ハッとするも友人の手前、平静を装う。

気づくと彼女は路地に入ったのか視界からは消えていた。

 

彼女の帰り道は二通りあってなかなかこちら側を使うことはなく、もしかして俺のあとをつけてきたのかと思った。彼女の事を店に入った後友人に話したが、何方かと言えば友人がそのことを気にした。どんな会話をしているか聞かれたかと(大体していたのは卒論とかの話だが)自分は知らない所で有名らしいから、と。そんな事を思っていたのかと、言わなきゃ良かったと思った。

最近友人に対してそういう事(彼女の事を話すこと)がいっぱいある。彼女と居た時は、まったくそういう話は出さず友人は彼女の存在も知らなかったと思う。大体、彼女と友人はまったく考え方は正反対だし合わせようとも話をしようと思ってなかった。

ただ最近思うのだ、友人も俺以外の友人が居ない。正確に言えば、授業とかで一緒に昼食べたりとかはあるけどそれ含めないでどっか行ったり飲みに行く人間俺以外いないんじゃない?と。いや、俺と違って友人は好かれる人間だから多少はいるのだけど。

そして、時々友人は言うのだ。

私、恋人とかいらないかな、友達とかいればそれで、どっちかっていうと同性愛入ってるかも。と

その時は酒も入ってたし、ふーんとしか言ってなかったけど。流してたし、互いに父親が糞だから結婚なんて墓場という認識しか無かったけど。

ただ、明らかなそういう認識は私は喧嘩した彼女に対してあったんだけども。

でもきっと、友人はそれを知らない。もしかしたら、薄々は気づいてたかもしれないけれど。

だから、そういうカミングアウトって単純に俺への信頼なのか告白なのかわからない。

そう、友人の中でその対象って好きになるぐらい一緒にいる存在って俺ぐらいしかないんじゃないって。聞いてみるのも怖いけれど。

ただ前にも、俺が彼女の事で相談しようとした日に先にその話をされて俺は何も言えなかったことがあるんだよな…

 

友人と一緒にいるのはかれこれ二年半だ。1年の時に運命的に出会った相手が友人だ。まぁ、その中で1年間彼女と共にいたお陰で一時期あった後にもう一人と会うという板挟みになりつつも上手く付き合い遂げたけども。自分の身が二つ欲しいと初めて思った。

 

人間、一年その人と一緒にいる、寝食を(今思えば無理矢理だが)共にするというのはあまりに誰かを知り過ぎる。その癖気持ちだけはわからない。その人の好き嫌い、思い出、

 

そう思い出、重なり積もりすぎた思い出。スーパーで油揚げ一つ買うのに苦しくなる。好きだったとか、買ってったとか。

普通を装っても、どこか胸の奥でする痛み。そして、気持ちに気づけなかった、横暴による後悔。

独りよがりな幸せの代償。

昔味わったこの感覚。

あの時よりは明らかに認識していたことと行動範囲の拡大と有り余る時間の余裕により、昔より傷跡は深い。(あの時はそれ以外の大変なこともあったけれど)

彼女も味わっているのだろうか、なんては思うがきっとそんなことはない。彼女はそんな性格じゃない。ところどころ傷つき過ぎて狂っていただけの、それでも優しい人だったと、思っている。結局は似たもの同士だった。それだけの事、と言えたら良かったのだ。

幸せにやってるのなら、それでいい。

(嘘つけ)

ただの過去に胸が痛むのは俺だけでいい。寧ろ俺だけだろう。

彼女にとって私なんかは何でもなかったただの金魚の糞だ。迷惑な目障りな金魚の糞だ。

 

ただ1年のあまりに楽しすぎる月日が、恋をしていた身勝手な時間だけが、けして美化なんかしちゃいけない最低な日々だけが私を苦しめている。

苦しんでいるのは、成長している証拠だとか言うらしいが、そんなの構ってられるか。「死にたい」と「死にたい訳じゃない」が、脳が思い出す度、口に出る。

許されたいのかもしれない。

叶わない願い事だけど。

許されたいだけ。

そう、許されたいんだ。

 

彦星様と織姫様、聞いちゃくれねぇだろうなこんな浅ましい願い事

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(どうでもいいけど、この月の方向に彼女の家がある。撮ってるのもよく二人で来てた家近くの公園だ。一年前彼女は浴衣姿の女の子見たいなぁって言ってたけど参加する側になったとはね。本当に気持ち悪いなあ俺は(笑)

はぁ……逐一覚えてんの嫌だよ)

 

 

好きな言葉

私の好きな言葉は大事を取るである。

もっといえば大事を取って休むなのだが。

 

私は元々、大事を取れなかった人間だ。

それこそ高熱も学校で発症する様な人間だった。というよりも、親がそうだった。学校を休むというのはあんまり許して貰えなかった気がする。というのは学校だけじゃなく習い事もそうだった。

今朝、夢を見た。夢の内容というのが、実家に帰ってまたそこから東京に帰るという内容だったのだが、その帰りの新幹線に駅まで母に車で送ってもらう時に荷物に赤い鞄があった。それは昔習い事に持っていく鞄だった。

つまりは、習い事の塾に行ってから新幹線に乗れという母の指示の夢。

今でも実家に帰る度習い事の先生の所には顔出すんだけどもね。

そういえば、東日本大震災のあの日も祖父は習い事の塾に私を夕方送った。正直に言うとあの時行きたくなかった。

分かってるけど、日本人の震災時日常通りに過ごすスキルはかなりのものだと思う。東京来てほんとそれなと思う。

というか 、中越の人間よりも東北の人間の方が地震の時に冷静な対処してるの凄いなと感じた。

 

私は駄目だ。小さい地震でも来ると鼓動が凄い。脳みその中のドーパミンがグワワーーッと出てくるのを感じるくらい。脳みその中身が切り替わる。

トラウマといえばトラウマなのだろう。生きるということに素直になってるだけなんだ。

だからか、揺れたと思うと辺りを確認する癖がついている。講義中時々挙動不審なのはそのせいだ。本当に揺れでもしたら私は一番に机の下に潜る自信があるし、実際潜る。

 

大事を取る、という言葉は生命を助ける言葉だと思う。弱腰なだけだと言う人もいるんだろうな。知るか。

こちとら死ぬか生きるかだ。構ってられるか。だったらお前も黙って大事を取れ、死んでしまうかもしれないんだぞ。

 

初めて好きになった歴史上人物が桂小五郎(木戸孝允)なのは伊達じゃないんだぞ。いや、原因は銀魂なんだけど。因みに銀魂だと桂小太郎だけど。

史実の彼は逃げて避けて明治維新を支えて、最後は苛烈する国と同士達に鬱になり死んでいった。好感しか持てない人物だと私は思う。

 

逃げることは生命を延ばすことに大事なことだと感じる、というこのことを大事をとって一時間休んだ学科教習の間に書いている。だって、トイレ行きたかったんだもん。

 

 

欲深きもの

単純に、欲しいものは

そこにいるだけで

居てていいよという一言と

またその保証

自己肯定感くそ低い自分って何

相変わらず大学のコメントシートって何書けばいいのか分からん。

大した感想もないよ。

 

ビデオ見て、山王祭の神輿が大きかったとか、岩座が大きかったとか、山が琵琶湖が尊いから

祀りたくなるの分かるくらいしか。

 

最近、就活のアレで自己分析を自分でもやるんだけど、エニアグラム診断やっても毎回4の芸術家タイプに分類される。

エニアグラムタイプ4の特徴・適職(職業適性)

少し見るとわかるけど、社会不適合者をそんなふうに言い換えているだけだというスレにぶち当たる。しんどい。

私の誕生日は3月3日なんだけど、誕生日占いやると殆ど同じ事言ってる気がする。たしかに魚座の私は現実世界に生きてない。

3月3日生まれのあなたの運勢 - 七色の誕生日占い

 

まぁ尊敬する程真面目な正義感の強い友人は蟹座のエニアグラムタイプ1だから類友なのかもしれない。

 

話を戻す。私の性質、確かに現実世界に生きれないのわかる。こっちだってしんどいんだよ…魚座しんどいんだよ……物心ついたあたりから虚無感あるんだよ……どっか一人なんだよ

寧ろ、私とは誰だっけ状態だし

寧ろこの世界何生きてるって何存在してるって何それこわい、みたいなのは潜在的にある気がする。

 

あぁでも、私にはスピリチュアルな部分ないけどな。人よりは寺社仏閣参ったり山が尊いと思えたり大地は偉大だと思うけど、信仰心あるつもりだけど、きっと日々の感謝が足りないんだろうな。そういうの見えたらまだ楽だったのかな。存在してる確信を外部からもてるじゃん。

でも、遺伝子的に口寄せ出来た曽祖母の特徴持ってるから…なにか来そうな気もするんだけどね。でも、見えなくて安心してるのも事実。

曽祖母は臨終の際に、父(当時中学生)に色々言ったらしいんだけども。その中に兄のことを含むことを言ったとか。

私のことはノーコメントだったらしいけども。それも私ってなんなのかなって思う要因

 

でも確か、兄が亡くなる時、友達呼んで自分の誕生日会を予定しなかったのは何でだったんだろう…嫌な予感があったのは何だったのだろう。見事に誕生日と兄の葬式が重なったあの日は。従姉妹一人しか私の誕生を祝ってくれなかったあの日は。

 

まぁいいや、どうでもいいや、どうでもよくないや。関心が自分にしか向かないってしんどいよね。その中で安心してるのもほんとクズだよな。

 

劣等感は人一倍、競争心は植え付けられたものだけ浅ましいものだけ。それでも、広い世界に出ると競争心が強い人が沢山いて、私にもあればいいのにそしたら怖くないのにと思うのも悲しいことだね。

 

うん、そんな世界で普段何処にも飛べず、ねちねちしてるから

感じても無駄だと思う。皆感じている誰かひとりが既に感じていることってコメントシートに書く必要あるのかなって思ってしまう。奇を狙え

 

人とは違う何かを

植え付けられた競争心

人から認めてもらうために

 

誰かから肯定してもらうために

母親来訪

学校行事に託けてお母様が実家から逃げてきた。

部屋の汚さに親のダメだしを食らう。

ダメなものだから仕方ない。

 

初日、焼きカレーが食べたいらしくテレビでも紹介されたというとお店に連れてく。その後水族館へ。

二日目、学校行事へ。私も授業の為、学校へ。その後、某温泉施設へ。

三日目、パンケーキが食べたいらしく渋谷のミクロコスモスへ。その後、109をふらつき、安安で焼肉、家に帰ってごろごろしつつ、銭湯へ。

これを執筆してるのは今ここ。

隣で母が凄まじいいびきをかきつつ寝ている。眠れぬ

明日(日付変わったけど)、月曜日、母も家へ帰る。暑苦しいけど、なんか寂しい。そんな母親来訪であった。

 

 

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(母親にこれを使ってみた)

五月蝿その3

記事書いてるうちに五月が終わりそうだよ。

今日現在26日だぞ

 

はは。それでは、5月5日のことを書こう。

 

この日は、父と母と福島山形方面へ。

朝の喜多方ラーメンを食べに(既にお昼近く)。

この日の朝、新潟のラジオに燕三条のオネエこと、さとちんさんが出ていた。初めて聞いたけど面白い人だった。一瞬にして高速を走る車内がスナックに。

磐越自動車道会津坂下で降りて下道を通り喜多方へ。小学校の修学旅行以来じゃない?喜多方まで行ってラーメン食べたの。

当日は市内でイベントしてて凄い混みようだったんで、適当に店入ってラーメン食べて抜けた。

当初の目的が喜多方ラーメンを食べるだったので早々に達成して困った。

 

適当に市内を走ってるとラジオからRADWIMPSが流れてきた。

そう、これだ。

五月の蝿

五月の蝿


親の前でめっちゃビビった。

(最初、自分のiPhoneから流れてんのかと思った)

中々、前前前世が流行る中で敢えてこれをリクエストするリスナーさんロックだわ。

この曲、カラオケで毎度入れて気怠そうに歌うの楽しいんだよね。

 

で、そんなこんなで

私「会津若松は今日混んでそう」

父「そうだな、んじゃ山形にさくらんぼ食いに行くか」

母「Zzz」(いつも大体寝てる)

 

そして、 大峠道路使って山形県境辺りで気づく。

 

私「ねぇ…今思ったんだけどまださくらんぼの季節じゃなくね」

父「確かに、まだ桜咲いてたな…」

いつもの聡明な父に歳とったなと思った瞬間だった。

 

私「そうだ、米澤の戦国時代展行きたい」

まぁ、東京展3回行ったけどな。宗三と鬼切見に。

もしかしたら五虎退見れるかと思ったんだ。見れなかったけど。

 

数年ぶりに米沢行ったわ。

当日は米沢上杉まつりを上杉神社あたりでやってたんで、駐車場探しに苦労した。博物館の方に運良く駐車場が空いていたのでそこへ。

博物館で、洛中洛外図屏風が展示されていた。その点お得かな。

 

その後は、上杉神社に遠くからお参り。

家路についた。

が、帰り道radikoにて朝の番組をタイムフリーで、車にBluetoothで繋ぎ聞く。

帰り道がスナック。

笑い声が車内に響く。

思わず皆が叫んで笑ってたので、うるさいと言ってしまった。それで、静まるようなことは無かったんだけど

その後、後からお母さんにお父さんが怒ってたと言われた。

娘から暴言を言われたのが嫌だったらしい。

 

なんだか、親にも言いたいこと言えないGWだなと思った。 

 

 

 

五月蝿その2

前回の続き。

5月4日に長野北部方面へ行った。

父と2人で。

父はわりと文化財とか歴史物に関心を抱いてくれるのでとてもその点は有難い。

どのぐらい有難いかわかり易く言うと博物館行ったら音声ガイドと図録を買ってくれるくらい有難い。

 

で、そんなこんなで戸隠奥社に行きそびれ戸隠神社中社に行くもそこも満杯(朝から混雑どんだけだよ)。割と中社も楽しいんですけどね。前に資料館みたいな所で解説ボランティアのおじさんと江戸期からのお話で語り合ったことあります(笑)父が取り残されて私のこと感心してた。

 

で、そのまま下って鬼無里行った。というよりも、父方の祖母の実家が小川村なのでその通貨地点。

でもその日は、戸隠に行かなかったおかげで割と鬼無里でゆっくり出来た。

 

そう、鬼無里といえば紅葉ですよ。他にも、木曽主従とかあるけども。自分、鬼も好きだけど木曽義仲も好きなんだよ!!!

これまで通過しかできなかったからさぁ…もうさぁぶっちゃけ我が家の家紋が毛利の逆で星三つの下に一文字だからさぁ…

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わかる人にはわかれ。

しかも、昔から怪談本(今思うと幼稚園に何読ませてんだという話だけど)を父から読み聞かされててですね。羅生門の鬼を毎回。前はことある事に鬼の腕を斬ったと言ってたんですよ。うち本家とかいうけど世の中に渡辺どれだけいると思ってるの…。

その家の人間が鬼が好きなんて一言も言えず。だからね、もう弥彦に散々連れてってだの山の写真を嫌に撮るとか変なやつだと思われてると思うんだけど

鬼が好きなんだよ私は!!茨木可愛い!!!

そんで酒呑童子茨木童子の割と胸熱なキーポイントが戸隠の九頭竜様なので。

だから、毎回規制のたびにせがって行くんだけど。

最近、ソシャゲ陰陽師のせいであーあーしてるしな。

そんな鬼無里から戸隠山を見てみるとこうなのよ。溜息でるわ

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 十二神社から見た戸隠山

うん蟻の門渡り!!!!(性的な意味は無い)

ヤベエかっけぇわこれは。

見事見事。

ありがとう九頭竜様……感謝……🙏

 

その後、鬼無里を通り…。

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ああ、鯉のぼりがすごい綺麗…

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しかも村のお社のお祭りの幟とか…オラとてもワクワクすっぞ……。あの、谷の崖上にお社あるとか素敵過ぎません…?ああ、ここは鬼がいたのね…ああうん無理

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4月落ち込んであんまり出来なかった分の花見をゴールデンウイークに済ます…これぞ北国の春……はぁーーーー(溜息)

東京のゴールデンウイーク暇な人は皆北国に花見に来ればいいんですよ!!!(暴論)

本当に標高高いところは山桜咲いてるしああ高速道路とかで見かけるぽつんとした山桜に西行法師ぃ…ってなるし。平地でも八重は満開だし花吹雪は殺傷能力持ってるからね!!!白夜の千本桜かよ

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↑この数日前弥彦で撮った写真

風で花弁が散り痛かった。

 

 

あー、山見ると落ち着く落ち着く。

東京山ないからね、見晴らしのいい高台とか段丘の淵に行くとあーーーーってなるのが私だからね段差があるーーーって。五月蝿い

 

で、話を戻すと、途中父が公衆トイレに行ったんですよ。その近くに寺看板あったのでとりあえず突っ込むじゃん(親にとってはいい迷惑)

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この寺は分かんなかったけどな。

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ああああああああああああああ

これ鬼無里神社じゃん…何これ尊い

ありがとう九頭竜さま。

親に「もう今度は彼氏に連れてってもらえ」とか不躾なこと言われてたからもう来れないのかとか思ってたら……。彼氏出来るわけねぇし免許まだ持ってねぇし。

いつも鬼無里は降りれなかったから…あの無理好き…はぁ。

そんなこんなで、車内でお話しながら小川村へ。

基本的にいつも小川村越えて中条行って蕎麦食う。小川村の道の駅はまぁうんあんまりお蕎麦おすすめしない。中条の道の駅はやばい。何がやばいって大盛りにすると……。半端ない量が来る。

食べ終えて、父が祖母に頼まれた山芋3本抱き抱えて会計済まして車へ。父がひたすらに祖母の言うこと聞いて偉いだろアピールしてきた。この前日だかな。父が飯食ってる所で祖母が生ゴミ弄りだして喧嘩してた。(この日も祖母も来るはずだったが、喧嘩してたから来なかった。)

 

もう喧嘩した原因のそれ、祖父が健在な時に朝やられて(私が朝食食べた後でもゴミ出しの時間にはまだ時間があった)一度人がご飯食べてる時に生ゴミ弄らないでと祖母に言ったら祖父に「嫌なら食わんでいい!!」と怒鳴られて、泣きながら食べたことがあるので、(今思うとクソ理不尽だし何か会話が成り立っていない、いつものことだけど)

何を今更、と思うんだけども。

 

んで、その後、祖母方の実家の墓へ。

そこで父が、「うちの墓より長野の墓の方が多く行ってる」と。うん、それ前日に母が愚痴ってたよ。だから、父が行こうって言っても母ついてこなかったんだよ。

んで、花も線香もなく、簡略化ということで、たんぽぽとハルジオンを適当に父と積んで花のところに突っ込んで父が煙草を二本火をつけて供えた。

いつもは花とカップ酒と煙草と線香なんだけどね。

去年の盆に我が家が供えた片端の花が朽ちてそのままになってた。もちろん、カッブ酒も。

もう、その前とかはカッブ酒溜まりすぎて墓の周りを一周させてやろうかと父が笑ってた(今回も一升瓶なら距離稼げんじゃねとか言ってたから。(春のパンまつりのシールかよ))

その後、おやきを買い、(個人的にはナスが好きだが野沢菜一択)

帰りどうするかとなって、

大町白馬村糸魚川の方を通るかとなった。

善光寺は混むからね。時間もあるし。

大町へ降りてスーパー寄ってジンギスカンの肉を買い(信州新町の名物だからね)

スーパー前で親戚に似た不審者に会うというハプニングを終え、車に乗りこみ白馬村方面へ。

 

青木湖を通る。何故か、父が行けると過信して昔からの塩の道を通った。対向車とのヒヤヒヤものだった。すぐ脇は崖だ。湖だ。崖の反対側には鬱蒼と茂った林。その中に不気味な程に石佛が置かれていた。落ちる人がいるから、とお父さんの名推理。調べてみたら全然違った。江戸時代からのもの。
白馬さのさか観光協会|塩の道石仏群

 

白馬の駅前が懐かしい。昔は祖母の妹が大町にいるので祖父が健在だった頃はよく泊まりに来ていた。今もう記憶ないけど。それでいつも白馬村の温泉に泊まっていたから昔はよく行っていたんだと思う。少し懐かしかった。

温泉の看板娘ちゃん、今もう高校生くらいじゃないのかな……時が経つの早すぎでしょ

 

そんなこんなで白馬村を抜け、小谷村の道の駅に寄る。大部、昔の記憶と違う。前はあんな大々的に温泉と都会のお店みたいな食事場所無かったような…。あともっと恐竜推しだった。だから恐竜の足跡が見たくて寄ったんだけどなぁ。

でも、まむし酒を発見。都会的だけど、変わってないなと感じた。熊の毛皮もご顕在。蜂の子の瓶詰めは売ってなかったけど、蜂酒は売ってた。まむし酒よりもかなりリーズナブルだった。

 

その後姫川沿いに糸魚川へ出た。コンクリートの工場が大きい。正月休みに糸魚川大火の跡を見に行ったぶりだった。

父の話を聞いた。消火のポンプ車やホースを置いて逃げなければならなかったくらいに、本当に悲惨だったのだと。

そして、もし、あれが海に吹く風ではなく海岸と平行に吹く風だったら、糸魚川の街はもっと大変な事になったのではないかと。

 

大水害に

地震

津波

大火事

テロ戦争

 

ただでさえしんどいのにね

常識は覆されてく。

そんな時代になりました。

戦国時代とか幕末明治ってこんな感じだったのかもね。

 

まぁいいや、帰りは能生によって蟹買って帰りました。GWの残り数日の夕飯が蟹と羊になった。