虐待の連鎖の一事例
夏休みなので実家に寄生している。そこでちょっと衝撃的なことがあったので書いてみる。まぁ大したことないよ。
虐待の連鎖
世の中には虐待の連鎖という言葉がある。
私がこの言葉、意味を知ったのは小学生の時に青木和雄さんの『ハッピーバースデー 命かがやく瞬間』という本を学級文庫で読んだ時だった。(前にも多分この本紹介したことあるかもしれないのだが一応紹介しておく)
ざっとネタバレしてしまえば、母親からの兄優遇の兄弟差別などの精神的虐待に苦しみ声を失った主人公が、母方の祖父母の家で療養して声を取り戻す。そんなお話だったと思う。
ただ、主人公は祖父母の元で療養するにあたって、自分を苦しめた母の生い立ちを知ることになるのだが。
もうホント笑えない。
主人公の母親は、難病児のきょうだい児だった。そして、子供が生まれると誕生木を植える主人公の祖父母の家では、主人公の母の誕生木は無く、それは何故かというと母の誕生木を植える時に姉の手術によって植えられなかったと。そしてそれは手術後も植えられることはなく、ようやく植えられたのは主人公が声を取り戻した後だった。
すべての命は兄弟分け隔てなく喜ばれてしかるべきなのにな。
つまり、主人公の家は機能不全家族の連鎖だったのだ。
この本で救いがあるのは、祖父母が母親にすまなかったと母親の誕生木を植える部分だ。今更かよ。
(子供心にこの本を読んだ当時の自分は、兄が生まれつきの心臓病で亡くなった数年後であって、日々父方の祖父と祖母と父と母が修羅場を繰り返し、学校ではいじめたりいじめられたり修羅場を繰り広げていた頃だった。いやぁ、良く生きてた。学校の相談室のカウンセラーに笑顔で話すとどん引かれる。)
あの頃は笑えなかった。それでも死んじゃいけないと思っていたのは両親に言われる「兄ちゃんはもっと苦しかったんだ」という言葉に生かされていた。
今なら、その言葉、全て否定してやる。
私の痛みは私だけのものだ。誰かと比べられるものではない。
だから、私、希死念慮に向けられる軽薄な「明日生きたかった生きられなかった命もあるんだよ」の言葉が嫌いなんだ。それでも、つらいから死にたくなるんだろうがバーカ。死ぬのが嫌だが今もそれくらい嫌なんだバーカ。
っていうかそれは自分で思うには構わんけど他人に向けちゃいけないんだ。
話を戻す。
この本で虐待の連鎖が起こる(特殊な家庭環境や虐待環境で生まれ育った子供が大人になって子供が出来たらその子にも虐待をする)ということを子供ながらに知った私はすべてを私の代で止めようと思った。
所謂、反出生主義である。私が子供を産まなかったら虐待の連鎖は止まる。
誰も傷つかなくて済む。
だからかな、私は私から私の意思に関係なく他人の命が産み出ることが途轍もなく怖い。意味わかんなくね?自分の腹から自分じゃないものが出てくるんだよ。どこからその思考が出てきて来たんだよ。そう考えると、自分の思考ってどこから来たんだよ。めっちゃ怖いわ何で皆そんなに平気なんだよ。一番好きな画家はゴーギャンだよ。悪いか。私はどこから来て誰でどこに行こうとしているんだ。そもそも何なのこれ。目前のこれ。
所謂、タナトフォビアであり、子供心に虚無主義だったのである。ん?これ実存か。
在ることがこわいんだよ。何で在るんだよ。宇宙とか。
頭おかしくなりそうだから勝手に脳みそが考えるのをやめてくれるんだけど、子供の頃は暇でそんなことばっか考えてた。タナトフォビアに一番の特効薬は忙しさってアレ本当だなって最近二十歳を超えたあたりから分かり始めた。
宇宙のはじまりとかのそういう恐ろしさを理解するために宗教はあるんだよ。
高校時代にこういう思考回路が自分だけじゃないと知ってその時自分は一つアイデンティティを失ったんだよ。
思えば自分のそう、アイデンティティなんてものはいくつも失ってきた。
ここでいうアイデンティティは自分の信念であり、個性だ。
先述の「兄ちゃんの方がずっと苦しかった」というのはいい例で、本当に中学卒業してインターネットを知る前は生きる指針のようなものだった。今じゃゴミ同然だ。
あと小学校時代の家庭の修羅場なんてのもそうだ。きょうだい児だった自分はずっと祖父母に可愛がられていた。私は祖父母が大好きだった。
それが兄が死んで母が病院通いから家にいる様になってから。私が物事の分別が付き始めたころから何かがおかしいと気づき始めた。祖父は母を殴り、祖母は母を罵る。大好きな母親をかばった私は祖父に叩かれた。後に母から聞いた話だ。母はうちに嫁いでから嫁姑問題を超える傷害のようなことをされてきたと。また、母から父は父の子供の頃から祖父母(父の両親)から虐待の様なことを受けている、と。
大好きだった人が大好きな人に暴力を振るう。大好きな人が大好きな人の否定を行う。
中学校にあがってから、祖父が病気がちになり、高校で祖父が他界してからは祖父の様に父が母に暴力を振るっていた。夜になると私は泣き叫び誰か助けてくれないかと思っていた。ずっと近所の人は私の叫び声を聞きながらどう思っていたのだろう。
2019年8月12日23時今現在も一階から父の怒鳴り声が聞こえてくる。つらい
大学にあがってからとある教育系の講義で「虐待に泣き叫ぶ子供が居たら近所の人が助けてくれる制度があったらいい」と発言したら講師は既にあるといって、絶望したんだった。あの人たちは助けられなかったんじゃなくて私を見捨てただけだったのだと。
そんな私だから、中学時代には小学校時代ずっと否定していた友人たちから無視絶交をつきつけられた。
私はそこでようやく父たちのやり方はどこかおかしいのだと気が付き始めた。
人なんか踏み台にしたところで、気持ち良くない。
いじめを受けながら、いじめや否定をしていた 自分は母親に「傷つけられた人間はそのぶん優しく出来る」と言われてずっとそれを信じていた。
だけど、結局母も人間で誰かを恨んだりすることはある。誰にだって間違いはある、被差別者が誰かを差別することはある。
やっと二十歳を超えて親元を離れて、我が家の異常さに気が付く。
気が付いたところで過去などは戻ってこない。
謝られたところで過去は変わらない。
謝ったところで過去は変わらない。
就活もどきを行うにあたってエニアグラムやMBTIをやるとタイブ4だったりINFPなのだ。所謂、社会不適合者のような部分なんだが。
INFPは「悪人の中に善を見出そうとする」そんな性格なのである。
多分、この性格にあたっては後天的な性格のひん曲げがある。
中学までの自分は最低な人間だった。
そんな性格を抑えて無害化しようとしているとこんな性格になった。
誰にでも優しくしたい、傷つけたくない。誰かを傷つけた自分を見つけると自己嫌悪でやり切れなくなる。自分に向かって暴言を吐く。みそる。
まぁ、そんなことはどうだって良くないけどどうだっていいんだ。
事の起こりは父の誕生日だった。
父の誕生日は八月の前半にある。
祖父の誕生日はその前日にある。
これがある種のあれなのかもしれない。
機能不全家族で、生まれた父だ。祖父は息子の誕生日よりも自分の誕生日を優先させていた。
祖父が存命の頃も私は子供ながらにそんな感じを感じていた。
そして今年の父の誕生日。
父はちょっとしたことで祖母と口喧嘩をする。祖母も祖母で喧嘩を買うのだ。
というか、80代の母と来年還暦を迎える息子の会話に聞こえない。
さっさと目を閉じて天に昇ってくれなんて。
ふつうは言わない。
あまりにそんなのが日常茶飯事なのでどんなにそのいい争いを聞いていて悲しくても苦しくても苦しかった感覚を残して何があったのかの記憶がすっぽりないし忘れてしまう。
私は家族として、祖母だって心配だし、父も母も心配するし、そんなたいせつな人たちが喧嘩して酷い言葉を浴びせ合うのは見ていて聞いていて苦しい。
苦しいし、それによって母が暴力降られるとしたら、もし物を投げて当たり所が悪くて死んでしまったら。そんな思いで気が気でない。そんな思いをここ15年くらいしてきた。多分これからも続くんだと思う。
本人たちはそんなに苦しんでないのかもしれないが私が限界だったり、
私のせいで母が何かされたらいやだ。
平気だとか言うけどさ、
死んだら困るとか、そんな損得勘定じゃなくて子供として親が死んだら悲しいだろうが。祖母が死んだら悲しいだろうが。
ただ、それだけなのに。
なまじ、自分は愛されているから。みんなを嫌いになろうなんて思えない。思っても、死んでほしいと思った後にはずっと後悔する。ていうか言霊で本当になったら困るから嘘だよって言う。
でもそんな思いを抱いたのが、父の誕生日の前前の夜。限界でRADWIMPSのへっくしゅんを暗い室内で爆音でイヤホンして聞いてた。
好きでも限界はある。
つらい。
てか、真面目にこれ打ってる時も下で父が大きな声。何話してるのだろう、怖い。
以下URLへっくしゅんの歌詞↓
http://j-lyric.net/artist/a04ac97/l009666.html
まじこんな感じだった。
そして、父の誕生日の夜。
私は夜、晩御飯がこわい。それも夜10時からのご飯だ。
だいたい誰かの誕生日の夜は荒れる。
私の誕生日がいい例で、絶対に悲しくなる。私の誕生日は兄の葬式の日だから。
まぁ荒れる。
だから荒れるかなと思って仏壇に祈っていた。どうか静かな夜でありますようにって
結局その夜は前述のように荒れたわけだ。
それが問題で、どうやら父は
両親(私から見て祖父母)に子供の頃、「お前は流される子だった」と言われたと。
それをひいばあちゃん(父からみて父方の祖母)が止めたのだと。だから、ひいばあちゃんに可愛がられた父は母からいいように思われず、弟ばかりを両親は愛したのだと。
それ自体は、私もとても感じていた。
何故ここまで私の両親は共に住み祖父母に尽くしているのに、年に一度顔出して我が家の内情をしらない叔父夫婦に両親が稼いだお金を渡すのか。
そんな風に、父は望まれざる子供だった。だが、父はずっと祖父の家業を継ぎ従っていた。優秀な父が祖父よりも稼いでも感謝されることも、なかった。
そして、兄が生まれるとき兄が先天性の難病だと知る前に
祖父母は流せといったらしい
何故?初孫では?
そして、兄が重い難病を抱えて生まれ数週間の命だと言われた時、祖父母は父に
毒殺しろ
と言ったらしい。
犯罪では。確かに、ある。
悲しいけれど世の中にそういうことはある。でも。
そして父は
俺にはそれが出来たけれど、出来なかった
と言った。いや、しなくていいよ。出来ないのが親だよ。出来るのも親だけど。
そして、兄の手術が失敗して心臓が長く止まって脳に血液がたまった?(こういう状況がよく分からないのもきょうだい児の問題だよなぁ)らしくて、植物状態になった時はもう「兄ちゃんはそこで死んだんだ」と父は言った。
でも、母は昔、兄ちゃんは植物状態でも泣いたり笑ったりしたんだよと言ってた。どれが本当のことか分からない。
で、兄が出血死した時も延命の指示を父がとりやめた時の話もした。
そして父は私に
俺が危篤になったら延命なんかしないで殴って踏んでくれて構わない地獄に行くから
と言った。
なんだろう、私はそれを聞いて酒を飲んでふわふわした頭でやってらんねーなと思った。かつ、私はそこで父にでも生まれてきてくれてありがとうねと言った。
まぁ子供の私が言うのはものの道理だろうけど、本来ならばこの言葉は母親や父親が子供に投げかけるものであって子供がいう事じゃないと思う。
でも言ってあげたくなった。この人に私が言わなきゃ誰も言わないから。
生まれてきたことはけして悪い事じゃないんだと言ってあげたかった。
それでもやっぱり、私は貴方たちの血を後世に残すのは嫌だ。
でもいつか本当に、この人との子供を産んで育みたいと思える人に出会えるとしたら産んでみたいと思う。本当に希望的観測だ。こんな私でも構わない、私の考えに共鳴して尊重して尊敬し合える人なんてそうそう居るとは思えない。
結婚は人生の墓場である。でも、希望を持ちたい。でも、裏切られるくらいならしたくない、そんな拗らせを受け止められる人間はそうそういない。
てかもう、ある程度自立して経済的余裕と子供が育てられるようだったら、里子を育てた方が、あなたの誕生を私は嬉しく思えると言ってあげた方がいい。生まれてくる命に罪はない。それこそ生まれてきてくれてありがとうと言ってやりたい。
罪は望まずに関わらず生んだ産ませた人にある。
そもそも男がやろうとおもわなきゃ日常生活で膣に精子なんて入らないわけだ。
出来ちゃった婚が嫌いなのは本当にそれでセックスしなきゃ間引きも必要ないだろう。
だから性犯罪者がこの世の何よりも嫌いだ。
でも自分だって似たような部分があるよなって他人事じゃない。
男からの言葉に傷つく癖に、男の様に女を言葉で傷つける。
そんな自分が気持ち悪くて頭おかしくなりそうだ。クソったれ。
最近やっと自分の性別が日や瞬間によって変わる様な気がする。それがまた何だか気持ち悪くて汚いと勝手に思って傷ついてる。クソったれ。
お前は誰かを傷つけたくせに。クソったれ。
ああ自分が嫌だ。嫌だ。火星の女を思い出す。
私には殿宮アイ子のような心からの愛人なんていないけども。ペッペッ。
いや、あの人はたいしてそんな関係じゃなくなってしまった。もう。
あの頃には戻れはしない。人生、一度すれ違った誰かと私の道筋はもう交わることはないのだから。
何の話だっけ。
あ、そっか、虐待の連鎖。
まぁそんなこんなで、うちの父親は被虐待児であった。多分、それは先述の精神的なものと身体的なもの両方だと思う。小学生の孫娘に手をあげる男が自分の息子に手をあげないわけがないよな。実際、前の家には壁に穴があったらしい。
まぁその他、色んな嫌がらせについては聞いた。
修学旅行の前の日に行かせないように嫌がらせしたり、正月に餅にあんこやきなこをつけて食べたら何故か怒られて今でも父は餅に何もつけず食べる。すき焼きをしたときは自分で肉をとらない。よそられた分しか食べない。昔、おじさんが帰省した時にすき焼きをして肉をとったら怒られたのだと。いや、もうその頃は父が我が家の大黒柱だったんだけどな。そのお高い肉も父の働きあったからこそだ。
あと父はよほど祖父からの家業を推進させて売り上げも伸ばした。ものすごい頭のいい人だ。新しいシステムやモノの流れを作って自分だけではなく、便利さや利潤を周りにもふりまく人だ。あんな親の元に生まれなかったらもっと凄い人になっていたと私は確信するほどだ。だから、そこで芽を摘んでしまった祖父がとても愚かな人だなと今の私なら思う。そんな父だが、祖父からは一度も認められなかった。
とてもお金が出てくるATM。いや、ATMだってあんなに仕事させない。奴隷の搾取、そんな感じ。そうだ、奴隷。そういえば、祖父は私の昔の友人にも「あの子は可愛いから飼いたい(意訳)」と言ったり、「犬はかしこくて自分のいう事を聞く犬なら欲しい」とか言ってたっけ。奴隷だ。征服欲求の塊だ。
だから全部会話が命令口調なのかもしれない。全部、自分の支配下に置きたい、そんな。
だって祖父の存命の頃、スーパーに買い物に祖父母と行くと祖父はカゴに食べたいものを入れていった。だからただでさえ料理下手な情報弱者の祖母はこんだてを考えられなかった。祖父が美味いといったメニューが一週間毎日続いた時もあった。祖父はブリの刺身が好きで一週間に三回は食べていたから刺身が特別な日のごちそうポジションだということは最近知ったし、もう当分ブリは食べたくないくらいのトラウマだ。
追記
昨日(8月15日)夜、また事件が起きた。
というより私が悪いんだが。
今の学校の同級生の女の子を父が写真撮ってこいって言ったので、それを私が「ズリネタにするん?」と聞いたのが気に障ったらしく、私が二階にあがってから傷ついたと喚いたのだという。
弁明させて欲しい。
その前の話の時に、「大学時代の友人を卒業式の写真で見てびっくりした」という話があった。友人の体形は大きい。でも私はそうは受け取らなかった。
かねてより父は「友人を家に連れてこい。酒を飲ませて抱いて寝るから」と言っていた。冗談でも気持ちが悪かった。私の友人を性的な目で見ているのだと。だから、写真を見た時に驚いたのと悪いイメージを抱いたのだと。抱いて寝れないと。
だからこそ、私の今の同級生を写真に撮ってこいなどと言ったのか。
普通、娘の友人の写真なんてその容姿なんてどうでもいいだろ。
どんな不細工だろうがどんな美人であろうと関係ないだろ。娘が友人として選んだのなら別にいいだろう。
そして、その友人を性的な目で見たと思うにあたり、これまでの行動が行動だったのだ。
数年前中学生の時だろうか、私が父に首を絞められた。
それは胸を触られたからそれに対して「死ね」と言ってしまったのだ。だから激高した父親に首を絞められた。馬乗りになって「死んでやろうか」と言われながら。
よほど、ブリよりトラウマだ。
私は記憶してる範囲でも小学校高学年の頃、父親に胸を揉まれていた。その頃はたいして嫌がりもしなかった。でもところどころ記憶がない。思い出しちゃいけないんだと思う。てか、その時に父親が揉むと大きくなるみたいなこと言って揉んでたんじゃなかろうか。それは覚えてるからきっと揉んだことには違いない。
別に他意はないと思うんだけど思い出して流石に気持ち悪い。
てか嫌だった。だから許してたことが中学生になって気持ち悪くなって死ねなんか
言ったんだと思う。
そんなことをした父だから妙齢の女性の写真を撮ってこいなんて言ったらそう軽口を叩いてしまった。それを不快に思おうが、私はずっと何だかんだそんな気持ちにされている。だからこそ、そんなセクハラまがいの思考も持ち合わせているし、セクハラされる側の思考も持っていて、日々自分が気持ち悪くて仕方がない。そんな下種な言葉が出てくるのもそういうものだし。というか、私結構最近傷ついた言葉があるんだけど。
父親にね
どっかの男に犯されて孕んで来い
って言われたんだ。他意は無くても純粋に孫の顔見たいでもこの言い方はない。
娘にレイプされろって言ってんだもの。これは流石にズリネタにでもすんのって言われても仕方ないと思うんだわ。うん。うん、顔から笑顔が亡くなるよね。うん。誤字。
ああ、これがいわゆるレイプ目かぁ。笑えないなぁ
つら。
あとね。母に昨夜聞いた話なんだけどね。
私が二歳の頃に、祖母に私が夜のトイレに起きて、そこにやっと仕事を終えた父が家に入ってきた(その頃は仕事場が家の敷地内にあった)んだが祖母に「娘が出て来るまで待ってて」と頼まれた。その時に、祖父がそこに通りかかって父に「変態」と言ったそうだ。頼まれて娘の入ってるトイレの前で待つ父親に。
そして、それに激高した父は祖父の首を絞めたのだという。
地獄かな。もうその時に殺してくれればよかったのにな。
まぁ何度か殺してやるみたいな話は聞いてその度に私は泣き叫んでたよ。
まあ、そういうのに関しては私が生まれるときにもあったんだけど。
私は帝王切開で生まれたのだが、手術希望日について病院から帰ってきた母が祖父に何日がいいか聞いたら「お前の生理の日などどうでもいい」と。
うん?うん…あと平気で私と母が入ってる風呂の戸開けたりとか。
地獄かな
いやもうお盆だけどさ、天国行なのが意味わかんないよね。地獄行って欲しいわ
それこそへっくしゅんの歌じゃないけどさ
信仰心だけは人一倍あるからさ。生前に戒名貰ってたからねあの人。何が悪人だよ。
それは生きるにあたって人間皆赤切符で悪人であって原罪のような部分を悪としてみてるだけで、わざと罪を重ねてもそれは天国行なのか。
ざけんな。
いやまじ意味わかんないんだけど。
今日も夜が来る憂鬱だな
虐待されてるってのは分かってるし承認も何もないんだけど
だからってだけで人間はここまで人に酷い扱いするようになるってのが分かるとさ。
子供を持ったり結婚したりするのも怖いよね。
だって平気で父は、
私が結婚するときに母方の兄弟でゴミ屋敷の人がいるんだけども、それで結婚解消になったらどう責任とってくれるんだ離婚しろ、とか母に言うんだよ。
寧ろ、そんなことで結婚解消になるような縁はそれだけの縁でしかなかっただろうし、そんなこと気にする人間と結婚しても不幸になる未来が見えている。
いやだなぁ、反抗すれば殴られるし言葉で。母に関しては手で。
そんな人がさ、一生上司なんだとか思うとさ。
普通に人間として離れて懸命だと思う。まともな感覚してたらそんな会社入りたくない。
でも、結局それも出来なかったわけで
今更になって、専門学校入らずに半内定貰ってたところに就職すればよかっただろとか言うの、どの口が言うの。ねぇ
貴方が許さないって言ったんじゃん、そもそもあの時期まで向き合えなかったって何。
不安しかないんだけど、経営者としてどうなの
って言えば、また激高するだけだから言わないけど。
ちゃんと人の話聞いて認知のゆがみ無く良い事だったら受け入れられる人間になりたい。
追 追記(8月17日)
昨日。母がそれとなく娘を持つ従業員に「お子さんいくつだったっけ」と話しかけ、中学生と知って「じゃあ年頃なら胸を触るとか絶対ないわよね」と聞いたらしい。従業員の方は「母親すら触れない」という立ち話を休憩時間にしたらしい。
そしたらそれを聞いていた父親が「俺は○○(私の名前)の胸なんか触ってない」と言った。母はそれまで私の名前など出さず従業員さんの娘さんの話をしていただけなのだが。
相棒もビックリの自供ですね。
よくあるじゃん、右京さんが事件関係者に事件について匂わすように話して犯人しか知りえない情報を引き出してお前が犯人だとする奴。
「おやぁ、その情報はまだ未公開なんですが何で知ってるんです」ってなるやつ。
なんかそれを聞いてさ。私は逆に自分の思い違いじゃなかったんだと思って二度目の絶望しましたよね。覚え違いであって欲しかったな。
あとね、その従業員さんは結構長く勤めてくれててねそれこそ私が中学生になる前から
弊社にいてくださるんですけど。
その方が母に「そういえば、【私の名前】ちゃん触られて泣いたって話、前にも貴方から聞きました」と。
アウトじゃねぇか。本人たちより周りが覚えてるという。
まぁ、あの頃の記憶はすっぽり無いから。思い出しちゃいけないのか、思考が引き出し開けようとしても帰ってくるし。思い出したくないんだろうな自分の中の何かが。
そういえば今日どうでもいいんだけど、夢を見た。
昔に好きだった馬鹿男にセックスをねだる夢だった。
当時は写メで裸見せてっていうデートDV男(その頃はそんな言葉はなかった)だった。そういえばあいつも両親離婚してたし、乱暴でその癖自分は被害者面して性的危害を加える男だった。流石に好意があるか微妙な時点でも通りがかりに同級生の胸触るのはあかんよ。っていうか好意があろうがダメって先生が言ったわ。何だこのダメ男引き寄せ体質。ガチ目にDV家庭の娘がDV被害者になるってあれホントなんじゃね。
途中でこんな男は屑だなと目が覚めたけど、あの頃の自分を思うと一途に思っていうことを聞いていた自分が気持ち悪い。時間も体力気力も消費したし。もう絶対に会いたくない。絶対同窓会行きたくねぇ。でも今日の夢は拒絶性がなかった。それはそれで気持ち悪い。てかああいう男はどこかで野垂れていてほしい。次の誰かを不幸にする前に。
でも自分の中ではそれと関係なく大丈夫かという気持ちもあって、つくづく自分は善性を見ようとする人なんだと思う。
(だからこそ見いだせなかった場合は執着して罵倒するのかもしれない)
呪縛から解きなたれえてぇ。嫌なことされても大して気にも留めず視界から消せる人になりたい。
ああくそったれ。