私の令和二年
2020年も、もう気がつけば師走。
一年前には誰も予想もしていなかった一年を全世界が過ごした令和二年
『どろろ』の曲を担当したamazarashiと女王蜂。
今年はどちらかというと私は女王蜂ばかり聞いていた。
(どろろ放映中はそんな聞かなかったんですけどね…後から沼るタイプ)
まぁ、故郷にいる状態で望郷の詩を聞く必要もなかったのかもしれない。
令和二年、雨天決行
結局、コロナの勢いはますばかりで今の今まで私は地元にいる、
何か今更帰りにくいというのもあるが
そんな令和二年師走某日、TwitterのTLに流れ込んできた広告。
新曲を出すことはなんとなく知っていたけれどオンラインライブを行うことまでは知らなかったから、急いで木曜日にチケットを買った。
amazarashi Online Live『末法独唱 雨天決行』Trailer
事前にradikoのタイムフリーで「SCHOOL OF ROCK!」のamazarashiゲスト回を聞いた。
10代達の令和二年を聞いて、ぼろぼろ泣いてしまった。
学校に行けなかった彼ら、学校に行けなかったことで助かった命、学校に行けなかったことで病んでしまった命、部活がなくなったり、会いたい人に会えなくなってしまったり、家族が亡くなったり、一人一人令和二年を精一杯生きている彼ら。
辛い思いをした人もいれば、楽しかった人もいる。楽しかったことを周りを気にして楽しかったと言えない子たちもいるんだよな。
去年の話
ふと一年前を思い出す。もう頭の記憶から薄くなったアパートの間取り。街並み。
ああ、私も学生やってたんだって思う。いや、今もやってるけど
来週行くネイルに学割使うけど。かなり自分だって悔しいんだ。こんな一年なんて。
そして、過去のブログを見直して一年前自分がどんなだったかと思い出す。
以下、文中の引用である。
私があげた記事で遅刻欠席魔の癖に無意味な質問を繰り返し先生を嘲笑う話し声のでかい馬鹿とミソジニー思考が強い阿呆がクラスに居て、学校に行きたくなさすぎるというのを紹介した。
去年2019年9月、京都に一週間旅行にいって縁切りで有名な安井金毘羅宮にお参りした。
そこで私は当時、ノイローゼみたいになっていたクラスの男子と縁切りをお願いした。
「二人が静かになって勉学に集中できるようになりますように」と。
そうすると、自分の欲望というものを直視することになった。
それでもって縁切りと縁結びの神様だから、私が良い理解者と巡り会え幸せになれますようにだとか、自分が自信を持った人間になれますようになどと書いた。
また、「良い理解者と巡り会って自分に自信が持てますように。」ともお願いした。
この九月の記事の最後に書いていた人物が例の前の記事に書いた気になる人なのだ。
(今見返すと酷い書きようなんだよな。下手すると私がモラハラしてないか)
2020年、コロナによるリモート授業によって強制的にノイローゼの原因になってたセクハラ男とは顔を合わせることはなくなった。(もう一人は二年になったらいなくなっていた。元々学校来なかったから単位の問題じゃないか)
そして、丁度9月、例の人物に「君の身体は綺麗だよ」と生まれて初めて言われた。
結願一年って安井金毘羅宮凄い。行く前に崇徳天皇御廟に手は合わせてきたけど。
よく口コミで上司との縁切りで会社ごと倒産とか、強引な縁切りもするってあるけどさ。私が学校に行かないけど勉強できる環境って・・・・。
彼らと離れた令和二年
彼と向き合った令和二年
……彼らより一つ年下の彼が人間として酷くまともだったんだよな。久しぶりに心から優しい人間に出会ったと思った。所見は皆近寄りがたいと思うんだけどさ。でも、君に触れる距離に行くと皆君を優しいいい子だって言うんだ。だから、君についていく。
君に女として見られて微かに見出した喜びをしった令和二年
君とそういう関係になったから初めて親に隠さなきゃいけないものを買った令和二年
そういえば今年は沢山、Amazonでものを頼んだ。クレカも作った。
京都にまた旅行したくて使わず貯めた10万円が浮いたから。あと政府からの10万円。
実家にいると貰うお小遣いは少ないが生活費も自分の財布から出ていくことはない。
長年治そうと思っていた深爪にお金を出した。深爪癖は親譲りでストレスがかかると爪を剥くというもの。セルフジェルネイルに手を出したが下処理が上手くいかず分からず剥げてボロボロになった爪。これじゃまずいと初めてホットペッパービューティーを開いた。
緊張して初めて赴いたネイルサロンはあんまり怖くなかった。
初めておしゃれというおしゃれにまともにお金を出した。私は灰色が好きだから、気が付くと全て身の回りのもの(たとえばこれを打ってるPCとか)灰色になるから、爪も灰色に塗った。自分の一部が綺麗になるのは嬉しかった。
でも相変わらず、親にはもっと可愛い色を塗りなさいとか言われたり、ネイリストさんに可愛いのは苦手なんですよって説明しなきゃだけど。最近はメンズネイルもあるのになぁ。
深爪を治した令和二年
涙天決行
そして昨日「令和二年、雨天決行」のライブをPCで参加した。
19日くらいまでアーカイブが見れるからまた見ようと思う。
折角のライブなのにまともに見られなかったのは、気が付いたらぼろぼろ泣いてしまったから。
色々なことがあった令和二年、みんな一人一人違う人生を生きながらそれでも右往左往させられた令和二年。
灯篭に照らされた誰かの令和二年に胸が痛くなって泣いた。
最近、amazarashiを聞かなくなったのは、少し明るい未来を見ていたのと、今年は件の彼の事もあって私自身のジェンダーが大きく揺らいでいたから女王蜂を聞くようになったのだと分析している。
けれども、やっぱり彼らはamazarashiで。
エンディングテーマの歌詞の
僕はきっと 脇役だろうな
少し寂しいけれどきっと
それでいいんだ
貴方が幸せだった 証拠だから
彼らが言う通り、人生が幸せな時は聞かれないのがamazarashiなのだ。でもそれでいい。嫌いになった訳じゃないし。好きじゃないから聞かない訳じゃない。私にとって、ずっと曲というのは薬であって、amazarashiと出会う前はBUMPを聞いてたし、高校時代はamazarashiを聞いてたし、大学時代はLyu:LyuとSerph聞いてたし、去年は笹川真生聞いてたし、今はそれで女王蜂を聞いている。
今年は女王蜂の毒が薬として必要だった年なのだ。
こう並べてみると言い訳じみているが。
でも決して嫌いになった訳じゃないんだ。
少しだけ今年は彼のこともあって幸せな思いをさせてもらっただけ。夢を見せてもらっただけ。来年はどうなるか、わからない。
命を救った令和二年
今年、世界中で沢山の人が亡くなった。
だが、我が家ではコロナのお陰で生き延びた人がいる。祖母だ。
今年祖母は二度入院した。それも救急車に乗って病院に運ばれたのだ。それに付き添ったのは孫の私だった。
今年、コロナウイルスによって例の如くずっと新学期から今に至るまで実家に居る。
無理を言って学校にリモートさせてもらってる。だから、必然的に家にいて祖母の面倒も見ていた。
5月のゴールデンウィークのすぐ後、祖母は朝一階に降りてこなかった。寝室に見にいくとベッドの脇で転倒したまま、立てなくなっていた。というより、足に力が入らない。いつもなら転んでも立つことはできるし歩くことも出来る。
それが出来なくなっていた。
最終的に意識朦朧とし、救急車呼んだ。どうやら、脳に出血の後があったらしい。それで倒れたのかは知らない。
その次は退院1ヶ月後、退院した祖母がいきなり震え出して救急車に乗った。
本当に12時のお昼ご飯の時は普通にしてたのだが3時のおやつの時にはガクガクと全身震えていた。病院で何時間も待ったあとの診断は腎臓に細菌が入ったらしい。痙攣は高熱によるものだった。私が家に居なかったら発見が後れ生死に関わっていたのだろう。
そう考えれば、今年はコロナのお陰で祖母は命拾いした。本人は自覚ないだろうけど。
そんなことで命を救った令和二年でもあることをここに記しておこうと思う。